「会社を辞めたい」人は必見!会社や仕事を辞める前にまず転職エージェントに登録するべき4つの理由

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誰もが1度や2度「会社を辞めたい」「仕事を辞めたい」と思ったことがあるだろう。

毎日「会社を辞めたい」と嘆いている人も少なくないものだ。

仕事には自己実現や生きがいといった前向きな動機以外にも、生活のために仕事をしている人が大半であるため、仕事を辞めるのはそう簡単ではない。

そんな「仕事を辞めたい」と日々考えている方へ、是非知ってほしい情報を惜しみなく提供しよう。

仕事を辞める前にまずやってほしいことがここに全て書かれている。

皆さんの一度しかない人生が、実りあるものになることを心から祈ってやまない。

勢いで会社を辞める前に転職エージェントに登録すべし


新卒で入社した会社が、とにかくつまらなかったり、

今すぐ会社を辞めたいほど、職場に行くのが辛かったり、

直ぐにでも辞表を出したいと思っている人も多いでしょう。

会社を辞めた後の生活の不安だったり、短期離職へのネガティブな印象など、仕事を辞めるに際しては不安も多いものです。

今いる職場に活躍の機会がなかったり、自分に合わないと思うなら、躊躇せずに「転職」を視野に入れる時代です。

それでも、今の職場が嫌だという一心で、直ぐに会社を辞めるのは考えものです。

辞める前に、まずいくつかの転職エージェントに登録することを強くお勧めいたします。

会社で仕事をしていると、どうしても視野が狭くなりがちです。

そして、転職エージェントに登録するだけで、世の中にはあなたが思っているより、たくさんの会社や仕事があると実感するはずです。

転職エージェントで、新たな自分の可能性を見出してから、会社を辞める方が、安全ですし確実です。

何より転職エージェントへの相談・登録は、基本無料ですし、リスクもないので、転職エージェントの利用自体をタメラう必要はありません。



転職しなくても転職エージェントに登録するメリットは意外に多い


永年、日本型の雇用制度として定着してきた終身雇用や年功序列の雇用制度が、足元から崩壊をし始めた昨今。

新卒で入った会社に定年まで勤めあげることが一般的ではなくなってくると同時に、転職も一般的となってきています。

永いサラリーマン人生の中で、会社に不満をもったり、本当に自分のやりたいことを仕事にしたいと誰しも一度は思うものです。

転職してみたいと思いはしても、いざ転職となると様々なリスクが付きまとうものです。

給料が下がったり、新しい会社になじめなかったり、今まで築いたキャリアを棒に振てしまうこともあります。

一般的には、会社でキャリアを重ねるにつれて、転職への腰は重くなるものです。

「転職したい」「転職に興味がある」けど、何となく腰が重いという方には、ます転職エージェントに登録することを強くお勧めします。

皆さんは、転職の意志が固まらないにもかかわらず、転職エージェントに登録したり、面談したりすることは、無駄なことだと思っていませんか?

たとえ結果として転職しなかったとしても、転職エージェントへの登録は実はメリットが一杯なのです。



【メリット①】多くの求人情報を見ることで視野が広がる


会社員として勤めていると、日々の業務に黙殺される中で、しばしば自分の会社や業界のことしか視界に入らなくなります。

しかし転職サイトに登録すると、多くの求人情報を自然と目にすることができ、あなたの知らない未知の仕事を沢山発見できるでしょう。

また求人情報を見ると、今どんな企業がどんな人材を必要としているかが分かります。

そこには時の経済情勢や企業活動のトレンドが反映されているといっても過言ではありません。

ただ送られてくる求人情報を眺めているだけでも、我々の視野を広げてくれる情報が満載なのです。



【メリット②】自分の市場価値がわかる


仕事のやりがいだったり、生きがいを追い求めることが、転職活動の醍醐味でもあります。

しかし、いくらやりがいのある仕事で生き生きと働くことを夢見ても、給料や勤務環境などの待遇が重要なのは間違いありません。

転職サイトに登録すると、自分の今までのキャリアから想定される求人のオファーがあります。

自分に提示される求人の待遇を見ることで、自分の市場価値をおおよそ知ることができます。

どんな業界の、どんな仕事に転職すれば、年収がいくらアップするのかを客観的に知れるのは大きなメリットです。

自分の転職市場での市場価値を知ることは、自分自身を見つめ直すことに繋がり、転職への想いを再確認することに繋がります。

また、今の会社の良さを再確認し、転職を考え直すこともあるかもしれません。



【メリット③】今の仕事を客観的に見つめなおすことができる


自分の会社のことしか知らないサラリーマンが世の中には多いものです。

そのため、他社と比較しての自分の会社の給料や待遇、勤務環境の良否を判断することは難しいと思います。

しかし自分の置かれた境遇は、他と比較することで、初めて客観的に認識できるものです。

多くの会社の求人を見る中で、自分の今おかれた境遇を客観視することができます。

自分には、もっとよい仕事があると思うかもしれませんし、逆に自分の会社の待遇は、思ってたより恵まれてるかもと思うこともあるかもしれません。

結果的に転職するかどうかはさておき、転職サイトへの登録は、自分を見つめ直す多くの情報をもたらしてくれるはずです。



【メリット④】無料でプロのキャリアアドバイザーと面談できる


多くの転職エージェントでは、プロのアドバイザーと無料で面談し、転職のアドバイスや支援を受けることができます。

今までの自分のキャリアやスキルから、さらなる活躍が期待できそうな仕事や、想定される年収などの待遇といった、転職市場で今自分が置かれている立ち位置を客観的に分析してくれるはずです。

またプロのキャリアアドバイザーとの面談の中で、当初は想定していなかった興味深い仕事を発見できたり、自分の本当にやりたいことに気づかせてくれることもあるかもしれません。

これらの転職エージェントにおけるサービスは、多くの場合は無料で行われているため、利用する側に金銭的な負担はないといっていいでしょう。

皆さんの中には、今の職場に不満があったり、給料や待遇が物足りなく感じている人は少なくないと思います。

しかし実際に転職エージェントの門を叩くのは意外に躊躇してしまう人も多いのではないでしょうか。

転職エージェントに相談することと、結果的に転職するかどうかは、まったく別の話です。

興味はあるけどなんとなく行動に移せないのであれば、もっと気軽に転職エージェントを利用してみるのはいかがでしょうか?



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大学等卒業後2~3年以内で、職務経験がない20代の中盤までの若手の場合、第2新卒に分類する場合もありますが、新卒と扱う場合もあります。

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転職ドラフトでは年間に1000以上のレジュメを添削している専門家が、オンライン・無料・無制限でユーザーのレジュメ作成を徹底的にサポートしております。

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「GEEK JOB」未経験からプログラマーへの転職率95.1%!20代第二新卒/フリーター向け




GEEK JOBは、「学びかた」を改革し、自ら学び、自らサービスを創り出す人を増やすという事業ミッションのもと、第二新卒/フリーターに向けた、無料のプログラミング学習&就職支援サービスです。

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GEEK JOBが高い転職率を実現している理由は「徹底した採用者目線」での就職支援とプログラミング学習支援を実施しているためです。

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『社内SE転職ナビ』客先常駐なしの社内SEを目指すなら




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なりたい職種が決まっている方向けの転職エージェント


  1. オフィスワークデビューなら【マイナビキャリレーション】
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オフィスワークデビューなら【マイナビキャリレーション】




「マイナビキャリレーション」は未経験から事務職に就業することができる無期雇用派遣サービスです。

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営業職の転職なら「マイナビSales&Marketing AGENT」


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「会社を辞めたい」「仕事を辞めたい」その想いが今への原動力


長時間労働や劣悪な労働環境などのブラック労働による退職

長時間労働や休まることのない過度なプレッシャーなどのブラックな環境に嫌気がさし、「仕事を辞めたい」と思う人はいつの時代も多いものです。

仕事は、強い責任感をもって、多少の理不尽さにも耐えながら、真摯に向き合うべきもの。

しかし、その厳しさが過剰になってしまうと、異常な長時間労働や成果に対する強烈なプレッシャーとなり、労働者の心身を蝕みます。

近年は、働き方改革やらワークライフバランスなど、仕事以外のプライベートな時間を大切にする考え方も浸透してきました。

過剰な労働によって仕事を辞めたいと思った体験談で、働く意味を考えてみましょう。



パワハラでうつ病発祥、転職して心身共に健康で毎日充実

(32歳女性)

前職の職場には新卒で入りました。

新卒できちんと就職した経験がなく、学生時代も限られたアルバイトの経験しかなかった私は、何をするにも自信がない状況です。

その時の職場の上司は非常に細かい人で、仕事に関することはもちろん、手帳の付け方や私の服装、化粧の仕方などあらゆることに口を挟んでくる人でした。

今になって考えれば常軌を逸していると思うのですが、当時の私は自分が至らないからだと思い込み、全て受け止めようとしてしまったのです。

上司の行いはだんだん私への人格否定にもつながり、いつの間にか周囲の人間が心配するほどのパワーハラスメントが毎日のように続くようになりました。

私は精神的ストレスから体調不良になり、またうつ症状で自殺まで考えるようになってしまいます。

それでも私は何故か自分が悪いと思い込んでいたのですが、ある日、ふと自殺を考えるなんて状態が異常なのであり、職場がおかしいのではないかと気づきました。

自分は職場を辞めるべきだと思い、退職することを決意したときです。


私はその当時の上司によるパワーハラスメントにより、心のバランスはもちろん体調も崩していました。

そのため私はすぐに会社を辞めるべきだと思いましたが、当時、私の職場は人手不足だったため、普通に辞職を願い出ても退職することに反対されたり、引き留められる可能性が高いと思いました。

そこで、私はまず心療内科を受診し、医師に上司から受けたパワーハラスメントの一切を伝えてカルテに記録して貰いました。

その上で、医師にうつ病の診断書を作成して貰い、そのなかに仕事を休職すべきという文言をいれて貰ったのです。

そして、私はその診断書を職場に提示して辞意を表明。

会社としては病気の人間を無理に働かせることは出来ないと考えたみたいでした。

休職後、しばらくしてから復職することも勧められましたが、この職場にいる限り回復はないときっぱり断り、退職。

当時は強い睡眠薬でも眠れず常にフラフラだったので、とても転職するエネルギーはなく、転職活動はしていませんでした。

退職後、4ヶ月程度仕事を休んだあと、無事に再就職先も決定。

今ではうつ症状や体調不良もすっかりよくなり、仕事でもプライベートでも充実した日々を過ごしています。

ストレスなく過ごせることで毎日がとても楽しく、辞めて良かったといつも思います。

退職する前、私は自分が悪いものと考え、上司からのパワーハラスメントにも強く抵抗できませんでした。

しかしながら、今思えば前職の職場は上司が異常なのであって、私はきちんと声を上げるべきだったと思っています。

今はかなり強くなりましたので、次、自分が理不尽な扱いを受けたときはとことん戦おうと思います。

また、パワーハラスメントを受ける人の気持ちがわかりますので、周りにパワーハラスメントなどで辛い思いをしている人をフォローしていきたいです。

そういう考えを持てるようになったことも、辞めて良かったことの一つです。





大好きだった教員の仕事。それでも転職して心の余裕が出来た。

(31歳女性)

学校教員として勤務しておりました。仕事としては大好きな仕事だったので、大変なこともありましたが子どもたちの笑顔に癒されながら好きなことを仕事にできた喜びを感じて働いていました。

仕事を辞めたいと思ったのは妊娠出産を経験し、子どもを育てながらワーキングママとして職場復帰をしてから3年目のことです。 きっかけは同じクラスに配属された副担任の存在でした。仕事をしない、子どもとの接し方が分からない、子どもを危険な目に合わせる、授業が成り立っていない、仕事を休む等、副担任が起こしたミスを後処理し頭を下げ、フォローする日々でした。

増えていく一方の業務、私生活はワンオペ、管理職にヘルプを求めても助けてもらえず、あんなに大好きだった仕事に行くことが辛い日々。

身体には蕁麻疹が出て食欲がなく眠れず、それでも仕事も家事も育児も休めない日々に限界を感じ、辞めることを意識し始めました。

初めは、やはり大好きな仕事、ずっとなりたかった職業、子どもたちのことは大好きということもあり辞めたくない気持ちとの葛藤。

しかし、仕事のストレスが私生活にも影響が出ていたため「今優先すべきは自分の子ども、家族。またいつでも働ける」と考え、辞める決断をしました。

辞めることを意識し始めてからなんとなく転職サイトを眺めたりしていましたが、辞めると決断してからの行動はとても早かったです。

転職をするにしても子どもと関わる仕事がしたいという気持ちが強かったので、そういった仕事を探し応募しました。

永年子どもと関わる仕事をしてきたこと、教員免許状を持っていること、現場での経験があることが強みとなり、すぐに2社から内定。

職場の管理職に対しては反発する気持ちがとても強かったので、職場の人には誰にも話さず転職活動を進めました。

そして、人事面談の時に初めて辞める意向を管理職に伝えました。そこで初めて、事の重大さに気付いた様子でもう一度考え直すよう言われましたが、「既に次の仕事が決まっているので」と、強い気持ちで話をすることができたのです。

子どもたちと離れることはとても寂しい気持ちでしたが、私が今この子たちにできること、伝えられることはすべて行い、伝えようという気持ちで、1日1日を大切に年度末までの仕事をやり遂げたと思います。

転職後は心に余裕ができました。

心身ともに辛かった時期は全てに余裕がなく、いつも苛立ち、ずっと何かに焦らされてる気持ちがして本当に心に余裕がなかったです。

その余裕のなさを仕事では懸命に抑え込んでいたため、私生活で爆発してしまい、理不尽に我が子に苛立って声を荒げてしまうことが何度かありました。


今、当時を思い返すと、自分もしんどかったけど、我が子にもしんどい思いをさせてただろうなと反省しています。

転職した今は、心と時間に余裕ができ、我が子との時間を名一杯楽しみ、仕事にも楽しく取り組むことができています。

心に余裕を持てたこと、それが転職して心の底から良かったと、感じられるところです。






ワークライフバランスが整っているからこそ、私は働ける

(34歳女性)

業務の配置換えで上司が替わったことにより、毎日早出と残業でプライベートの時間が取れなくなりました。

新しい上司は、仕事を押し付けるタイプの人だったため、自分にあてがわれた仕事もさらにその下の課員に割り振り自分は定時で帰宅。

さらには部下がミスをすると、「自分が怒られる」と部下を責めたてます。

当時、パートナーとの同居を開始したばかりだったため、同居はしたものの自分が家にいないという現象が起き、何のために同居したのかわからなくなってしまいました。

家事も相手に任せきりになってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいで、ただただ辛い毎日でした。

お給料をもらい、生活するためには仕方がないと割り切ろうと思いましたが、プライベートの時間もなく、ただただ多くの業務をこなすだけになってしまい、本当に仕事をする理由がわからなくなりました。

なんとかこの状況を打開したいと思い転職サイトおよびエージェントに登録しました。

登録したものの、相変わらず業務は多忙だったため面接に呼ばれても時間をとることができずに、そのままお見送りになるケースが続きました。

2か月ほど仕事をしながら転職活動を続けたものの、なかなか時間が取れないためにうまく進められませんでした。

同居を始めたパートナーにも苛立ちをぶつけてしまうことが多くなり、これでは駄目だと実感。

そのため、転職先は決まっていないものの退社することにしたのです。

退社が決まると相変わらず業務も忙しくはあったが、もうすぐ解放されるという一心で、心に多少の余裕ができました。

引継ぎについてはいつまでたっても特に指示がなかったため、そのまま退職。

結局有給消化中に面接に行くことができ、期間をあけることなく再就職先が決まったのです。

辞めて次が決まっていなくても、パートナーがいることによる安心感はあったのかもしれません。

本当に一人で生きていかなければならない状況であったら、ずるずると働き続けていたかもしれません。

転職したことで、ワークライフバランスを整えることができました。

また、以前はトップダウンの風潮で裁量をもって働くことが難しい会社だったため、転職後ある程度自由に仕事をさせてもらえることがやりがいです。

もちろん仕事にやりがいが持てるということは素晴らしいことですが、自分はそこまで仕事人間ではないため、やはりプライベートが整っていてこそ、働いていけるのだと感じています。


残業することもありますが、ある程度の時間には帰宅できるため、パートナーとの家事分担もうまくいっており良好な関係を築くことができています。

働いてお金を稼がなければ生きていくことはできないが、やはり仕事とプライベートはバランスが大事なのだと再認識することができました。





毎日途切れることがない仕事。プライベートの皆無な毎日に虚しさ。

(31歳女性:会社員)

当時勤務していた会社はとても残業が多く、仕事量も多かったです。

毎日朝は早く7時過ぎに出勤し、夜は10時ごろまで働く日々が続いていました。

仕事内容も分刻みで求められる資料作成などが多くこなしても、次から次へと仕事の山がやってきて片付かない日々でした。

ほとんどプライベートもなく土日は片方は1日寝て、もう一日はの仕事。

なんのために働いているのだろうと悲しくなりだんだんと虚しさだけが残るようになりました。

体力的にも余裕がなくなり、オシャレや食事を楽しむことができなくなり、だんだんと体調もわるく体がだるくなったのです。

何もやる気が起きない中、仕事は休めないので溜息ばかり。


土曜日の夜からあと何時間でまた始まると自分の中でカウントダウンが始まり、どうしてこんなに仕事ばかりしているのだろうと思うようになりました。

解決方法は生活スタイルを変えるしかないと思い会社を辞めることを決意したのです。

やめようと決意したときにまず同期の中で一番仲の良かった子に相談。

仕事を失うのは怖いけれど、いやという気持ちが強すぎると話すと「ここだけが会社じゃないし、自分らしく働けるところが一番」と背中を押してくれたことで、退職を上司に伝えようと決意が固まりました。

次の仕事を決めてから退職したかったのですが、平日に転職活動する時間や余裕がなかったので、とりあえず辞めてから探すことに。

退職すると貯金を崩しながら生活することになるのでとても不安がありましたが、まだ20代だったので選ばなければ仕事は見つかるだろうと前向きに考えるようにしました。

退職の意向を会社に伝えると2か月後には退職できることになりました。

意外とすんなり辞めさせてくれることにも驚きました。

1か月後には引継ぎもはじまり退職まではスムーズに終了したのです。

退職して次の仕事を探しながらまずはゆっくりすることにしました。

精神的にも体調もボロボロだったので規則正しい生活をして料理をして、散歩をしてのんびりと毎日を過ごしました。

何もやる気が起きなかったのですが、だんだんと意欲がわいてきてまた働きたいなと感じました。

そして定時で帰れる職場に転職。

前職よりも単純な作業が多く、培ったスキルをなかなか活かせる機会は減りましたが、仕事とプライベートをバランスよく楽しめるようになってよかったです。

平日でも余裕ができたことが一番良かったです。

以前はすぐにイライラしてしまっていましたが、今は穏やかになり転職してよかったと感じています。

気持ち的に余裕があることは生活全体にもいい影響があったと思います。





終電まで仕事をすることが日常化。より良い待遇を求めて転職を決意

(39歳男性)

新卒で入社し4年間勤めたシステム構築のアウトソーシングを請け負う会社。

後の配偶者になる、当時付き合っていた彼女と結婚を考えるようになったとき、この会社で良いのか真剣に考えるようになりました。

業務が忙しいときは、残業も増え、収入も増えるのですが、身体的にかなりきつく、年を重ねてもやっていけるかというのが、あったのです。

また、一年に一回社長自ら業績発表があるのですが、いつも目標未達で大丈夫かと思ってしまう要因の一つとなりました。

賞与も低く、周りの同世代と比べて貰えていませんでしたし、収入的にも物足りない感覚。


また会社組織が、亡くなられた前任の社長の家族で構成されていることも気になりました。

これらの不安要素が、私に転職を決意させたのです。

まず、転職するには、何かしらの資格が必要と思い、情報処理系の資格を取りました。

会社で補助金が出るため、それを使って見事合格。

そして、会社の業務後に、3社ほど就職活動をしました。

リクナビNEXTに登録して、探したところで、3社とも最終面接まで行きましたが、受かったのは一社でした。それが今の会社です。

当時の上司には、面接を受けている段階で相談しました。少し引き止められもしましたが、快く受けて頂いたように、思います。

最終面接も無事受かり、退職について手続きをしていくようになりました。あまり、後を残したく無かったので、次の会社が4月入社だったのですが、その話をした、2月に退職することになりました。

3月の1ヶ月は、登録制のアルバイトを行い生活を支えました。

会社の事を嫌いになったわけではなかったため、辞めづらい思いはありましたが、次のステップのためにはと思い心を鬼にして臨みました。

今までは終電まで残業するということが、ザラにあったのに対し、転職してからは、ほとんどありません。

土日もきっちり休めますし、体調面ではとても良かったと思います。

また、大企業に転職出来たということで、安心して結婚に踏み切ることが出来ました。

ボーナスも格段にあがり、残業がそこまでないので、収入が上がったというこたと、ないのですが、気持ち的に大分楽になりました。


資格を取ったことで転職もスムーズにする事ができ、やはり資格は重要だと思います。

あと、大企業であることで福利厚生もしっかりしていますし、ローン審査なども通りやすかったように思えます。現在子供が二人いて問題ない生活を送れているので、転職して良かったと心から思っています。





朝7時半に出社し、夜の9時に職場で配達弁当を注文する毎日。婚約者の反対を押し切り退職。

(33歳男性)

社内全体が慢性的な残業体制になっており、このままずっと継続していては体が持たないと思い退職を検討。

毎日朝7時半ごろに出社し会社を出るのは決まって日付が変わってから。夜9時頃になるとみんなで配達の弁当を頼むような状態でした。

担当地域によっては遠方への車の運転も必要で、寝不足による事故のリスクもありました。今のところはまだ体力もあり、運転に支障をきたすことはありませんでしたが、これから年を取っていくのにこのような働き方を続けるのは無理があると思いました。

当然そのおかしな状況をみんな感じていましたが、職場の男性社員全員が揃って残業していることもあって、また厳しい雰囲気ではなく、和気あいあいと仕事もできていたのでなかなか退職を決断する人はいない状態でした。

私もその雰囲気にのまれながらですが仕事を続けてきましたが、結婚することとなり、このままではずっとこの仕事は続けられないと思い退職を決意したのです。

退職を決意し、まずは転職サイトに登録。ただ働きながらの転職活動は勤務時間の関係から難しく、あくまで情報を見る程度のものでした。

なかなか良い転職先が見つからず、結局このままではまたずるずるいくと思い、思い切って退職願いを提出しました。


当然結婚相手の妻や家族には反対されましたが、このままでは本当に埒が明かないと思ったのです。

また、当時営業職だったのと、このままずっと営業職というのも大変だと思い、簿記の資格を取りにいきました。

退職後の時間があったため、一発で合格しようと思い勉強し簿記2級を取得。

これで営業職、事務職両方を候補に仕事を探せるようになり、選択肢の幅が増えました。結果的に、ハローワークに求人の出ていた営業職に応募し合格となりました。

4社受け、2社がほぼ同時に内定をいただきましたが、早く決断をしていただいた会社に勤めることとなりました。





サービス残業や有休休暇の取り難さに嫌気がさし、退職を決意

(45歳男性)

はじめに勤めた会社は病院であり、休みはきっちりとあったのですが、勤務時間外の仕事が非常に多かったのです。

日勤が終わった後の研修や、研究にかかる時間、時間外の委員会活動など、場合によっては休みの日も出勤になったりなど、自分の時間がなかなかとりずらいような状況が永遠と続き、疲弊していました。

また、残業代の支給も当たり前のようになく、すべてサービス残業という形で、強制労働ながらも残業代、休日出勤代もでないような状況下で、風邪をひいて休んだりしても、有給の取得はさせてもらえず、すべて欠勤扱いとされました。

過去からの恒例だからとかなど、進言すること自体を阻まれ、有給や休みなど進言しても、なかなか通してもらえず、祖母が亡くなったときも忌引き日数が少なく、有給を申請しても欠勤の扱いにされたりなど明らかにおかしなことが多くありました。

ある日辞めることを決断する時がきましたが、会社にいる他のスタッフに迷惑がかかるとか、引き継ぎをいつまでにしないといけないとかが思うことがありました。

しかし、いざ退職日を決断した瞬間はそんなことはすべてどうでもよくなり、今まで会社にさんざん迷惑をかけられてきたこととか、引き継ぎなんかしたいと言われたらしてやろうとか思い、あとのことは一切気にならなくなりました。

また、退職後のことだけを考えるため転職活動を考えはしましたが、もともと専門職であり、引き抜きや以前やめた人からのアプローチがあったりなど全く気にすることなく、転職活動するまでもなくすぐに次の仕事は在職中に決まったのです。

そうなると残る必要はないのでさっさと辞める準備にはいり、すべての個人のファイルや処理などは抹消しあとにはなにも残さないように辞めました。

専門職であるがゆえなのか、経験を積んだからなのかは分かりませんが、退職前の会社よりも転職した会社の方が、休みの日数が10日以上増え、有給休暇も取りやすくなり、給料も5万以上増える状況になりました。

また、無意味な会議や委員会活動、研究他、研修も含めて時間外にかかるものがすべてなくなり、自分の時間をもつことができるようになりました。

また、嫌な仕事やできない仕事は、嫌とかできないとかをしっかりと言えるようになり、体に負担を少なく勤務できるようになったため、やりたかったことなどが十分にできる時間を確保することになりました。

また、自分自身の将来にも真剣に向き合えるようになったため、金額や労働条件の交渉ができるようになりました。





ブラックな家族経営労働から距離を置き、平和で幸せな毎日

(34歳女性)

1日16時間ほど働いていたのですが、親が経営する家族経営だったために給料は時給換算すると200円程度でした。

家の家事もするように言われ、仕事以外の仕事も山のように増えていき、自営業の手伝いと家の手伝いの境目が全く区別付かなく全て頼まれるようになってしまう状況。

いくら仕事をこなしても収入は変わらず、友達に比べて体もボロボロになるまで働いているのに、友達の3分の1程度しかお給料がもらえていない現実を最初は気にしないようにしながら過ごしていました。

それでも、自分の仕事で手一杯になる一方で自分の家庭がないがしろになり、このままでは体も壊すし、家族も失ってしまうのではないかという不安に襲われるようになったのです。

このまま時給200円で働くよりも、むしろ普通のコンビニなどで16時間アルバイトしているほうが真っ当な給料がもらえるし、生活も安定すると思うようになりました。

実家の家族の面倒も見なければならない状態から今の生活を離れるということは、実家の家族と離れるという覚悟を持って臨まなければなりませんでした。

実家の家族が自分がいなくなった後も生活が回るように全て手配してから家を離れなければ、家族の生命に関わることになってしまいます。

今までは時給200円でも辞めることができずに家族のためだと我慢して働いてきましたが、youtubeやラジオ、ネット、本などから、自分の今置かれている状況が普通ではないと実感。

さらに、世の中には自分の親のような人間を「毒親」と読んで、彼らから離れるために様々な準備をして距離を置くことで自分の人生をやっと生きることができるようになったという事例があることなどを知りました。

そこで初めて自分の親が毒親なのかもしれないと疑問を持ち、友人や仲の良い人に相談することもでき、これは離れるべきなんだなと意志が固まったのです。

とにかく、実家と距離を置いた今までは1日16時間労働して体がボロボロだったので、現在仕事を辞めて親から離れたことで精神的に平穏を取り戻しました。

今は毎日親に怒鳴られたり罵声を浴びせられたり、全てを自分のせいにされたりすることなく、自分の責任で様々なことを選択できるようになったことから、精神的にかなり楽です。

現在は無職なので生活費が入らず苦しい生活を送ってはいますが、それでもかつての精神的、肉体的に追い詰められていた頃の自分に比べると、平和で幸せな毎日。

やはり、ブラック企業のモラハラパワハラ上司からは離れて、とにかく距離を取るのが一番なのだということを身に染みて実感しています。

今は会社に残してきた他の社員が心配で、彼らに対する罪悪感と戦う毎日ではありますが、一生懸命考え方の転換ができるようにしていきたいと思っています。





人手不足による劣悪な労働環境。転職してワークライフバランス改善

(26歳男性:会社員)

パワハラや残業続きで精神的に参ってしまった時に仕事辞めたいと日々思いました。

中小企業で人手が足りなくなると一人分の作業が増えそれでさらに人が辞める負のスパイラルです。

ケアレスミスや部下の管理が行き届かないので業務上の失敗や顧客、取引先にも迷惑をかけとても険悪なムードな職場に変わりつつありました。

人が多かったときや業績が好調だったときは和気あいあいとした職場だったのに、、とそのギャップもあり虚しくなりました。

私にとって会社を辞めたい理由は、人間関係→お金→仕事内容の順番でした。

上司との価値観の違いなども理由です。

特に今の時代はデジタル化やテクノロジーの発展で肉体的にきついといわれる仕事は減ってきましたが精神的に疲労困憊してしまう時代だなと思います。

作業効率化のため企画やアイデアを上司に提案しても勝手に決めるな、俺の言うと通りにしろなどうんざりでした。

半年前から転職しようと考えており、退職の3か月前にはもう退職届を書いておりました。

それと同時に有休を取り始め転職先の面接に行ったり住む場所も変えるため不動産屋を回ったりしました。

有休を使い始めて半分くらいのところで上司を呼び対面での口頭で退職の旨を伝達。その時に退職願も渡しました。 わかりましたとそっけない形で承諾され、保険証や年金類、財形積み立ての払い戻し、退職金の申請、など自分の身の周りのことを3日で済ませました。

それからは上司や部下に業務上の引継ぎに一番時間を使いました。

これまでの自分のパソコンのファイルの共有やシフト表の作り方、経費の処理の仕方など、2週間ほどで引き継ぎ。

仕事の引継ぎが終わったら役所で住所変更、運転免許の住所変更をしました。気持ちとしてはとてもすっきりしました。やっと解放されると肩の荷が下りました。

転職してよかったことは、一番は自分の時間ができライフワークバランスを見つめなおすことができたこと。

自分はどこで誰と何をしたいか?など考えられるようになりました。

転職先を見つけるのにもネットで社風や業績を調べたり条件等をよく確認したり、勇気をもって退職してよかったなと思います。

人間関係や業務内容も明確化されており精神的にも楽になりました。

転職せず我慢したままだったら体調を崩してたかもしれません。

よく辞めるのは逃げだの言いますが、全然逃げてよかったと思います。解釈の違いだけであって逃げるではなくただ変えるだけだし、と精神的にも強くなりました。






大学研究者を志したものの、教授のパワハラ・セクハラ、ブラックな労働環境に絶望

(30歳女性)

前職は大学の助手をしておりました。将来、研究者を目指していたので研究室専属の助手に入職したのですが、雇用条件が入職前後で全く異なっていた事とハラスメント行為が多発していたので退職しました。

具体的には、研究室の業務は直属の上司である教授が私に指導する事になっていたのですが、仕事についての指導が全くされず、教授の仕事を殆どこちらに回されるありさま。

残業代が支給されない雇用でしたので残業をすることは認められていませんでしたが、上司は毎日サービス残業するように指示してきたので3ヶ月で残業が180時間を越えてしまい、心身ともに疲弊していきました。

また上司はデリカシーが無い人でしたので、セクハラやパワハラ発言を頻繁に発しており、更に同僚からは上司の嫌味を部下である私に言いに来たりと人間関係も劣悪。


所属していた学部の学部長に業務について相談したのですが全く取り入って貰えなかったので、人事課に他の研究室に移動する事が出来ないか相談しました。

当時、他の研究室での空きが無かったので研究室の移動が出来ないのと言われたので、翌日退職届けを提出。

入社当初の説明では、定時に仕事が終わるのでその後に研究する事が出きると言われていましたが、実際は業務に追われ時間が無かったので研究は一切出来ませんでした。

研究者になる夢を諦めたく無かったので、休日を返上して研究をしていましたが、肝心の上司が指導する気がなかったので良い結果は得られず、毎日辛い日々。

退職する1ヶ月前、上司が私に仕事を押し付けていた事が人事課にバレたので、上司は減給の処罰を受けたので私を恨んでいました。

退職するまでの1ヶ月間は上司はずっと無視してきたので、最後まで酷い扱いを受けて心に深い傷を負いました。

助手の仕事をしていた頃は常に睡眠不足でしたので健康診断に引っかかる程体調は悪かったのですが、退職してからは充分な睡眠を取る事が出来たので、体力は回復。

また、自由にできる時間が出来たので退職後は研究技術のスキルアップの為に資格取得の勉強を取り組んだり、体力を付ける為に栄養バランスの取れた食事や運動をする時間を設ける事が出来ました。

仕事をしていた頃は、常に上司や同僚から連絡が来ていましたが、着信拒否して煩い人間関係を終わらせる事が出来たのは良かったです。

コロナの影響もあり転職活動がとても不安でしたが、前職よりも雇用条件の良い会社に内定出来ましたので、無駄に一年間我慢して働かず直ぐに転職すれば良かったと思っています。





一人で3人分の仕事をこなし、メンタルに不調を来す

(44歳女性:会社員)

毎日、毎日、退職者や育休の人の分も含めて一人で3人分の仕事を掛け持ちしてる状態にもかかわらず、人員を増やすこともなく、無理難題を多数言われて、精神的、体力的に限界でした。

そのうえ、仕事が終わらないので、私自身の時短も解除せざるを得ない状況。

しかし、結婚もしていない人たちばかりの環境だったので周りの目は冷たく、子供の体調不良で休むことも許されない状況だったし、私自身も体調不良で休みたいといえない状況でした。

旦那にも協力してもらう事がどんどんと増えて、これ以上頼むことがつらくなり私自身も体調を崩しました。

そのため、精神的には、強迫性障害(火元や鍵の施錠を何度も確認する)不眠、身体的には、突発性難聴、帯状疱疹、円形脱毛症、歯のかみしめで歯がどんどん折れるなどが、つづき、これ以上不調が起きてしまうともう、生きていくのもつらくなってしまう状況だったのです。

仕事を辞めたいと思ったときに、まず、やりたい仕事よりも、すぐに働ける環境を探しました。

いろいろと考えている時間はないので、本当にしたいことを考えて、活動。

やるなら、今している仕事の関係ではなく、まったく違う職種に就きたいと思っていました。


理由は今の仕事は本当に閉鎖的な環境で、上司の意見が100パーセントだったので、自分の考えが全く反映されなかったからです。

なので、自分が思ったことが発揮できる仕事をしたいと思いました。

そして、ちょうど、やりがいのある仕事を見つけたので、その仕事をすることにしたのです。

仕事が休日の日には、そこへ行き、手伝いをして、自分に合うかどうかを見極めました。

そして、できそうと思ったので、仕事をやめることを伝えて、引継ぎをしました。

次の仕事を始めるまで、準備をして、どちらにも迷惑をかけないように心掛けました。

転職してよかったことは、まず、自分の体調が回復したことです。

まだまだ、精神的なものはありますが、少しずつ改善されました。そして、人間との関わりが少しずつ持てるようになりました。

自分の意見が100パーセント採用されるので、自分もしっかりとしないといけないという責任感も出てきました。

そのうえ、甘えが許されないという気持ちの中仕事をする喜びを感じています。

子供が調子を崩しても、どうにかなるようになりました。

仕事と家庭とのめりはりがしっかりとできて、日によって、早く切り上げたり、残ったりと臨機応変にできるようになりました。

主人にはやはり頼りっぱなしですが、理由もきちんと伝えることができるので、主人も納得することができているので、よかったです。





ミスの責任と後始末を部下に擦り付ける上司。上司の存在価値に疑問

(26歳男性:会社員)

「会社を辞めたい」と思った理由は、上司とは肩書きだけで所詮自分の都合が悪くなれば部下の事など平気で裏切る存在だと心に思ったからです。

取引先より新規製品の見積り依頼を2020年4月に頂き、内容としては少し複雑でしたので、上司に相談し確認と了承を得て、取引先へ見積書を提出しました。

提出した見積りの注文が6月に決まり、納品も問題なく終了。

しかし、納品後事件は起きました。

提出した見積りの単価が大幅に間違っていたという事です。

間違った単価のまま売り上げも上がってしまっておりどうする事もできない状態です。

私は、すぐに上司へ4月に作成した見積りを持って内容を報告しに行きました。

すると、上司からは「なぜ確認をしなかった」、「お前のミスだ」この二言が返ってきました。

もちろん私が見積りの作成者であることの事実に変わりはありません。

しかし、確認を行い決済印までもらっているのも事実です。

その後取引先の方にまず先に内容を説明し謝罪をしました。

はい、わかりました。と納得してもらえる内容ではありません。

私は、次の日も1人で朝一番から訪問し謝罪を続け、次の日に関しては私が新人の時の指導係の先輩が同行してくれて一緒に頭を下げて頂き、事はなんとかおさまりました。

普通は上司が同行し部下のミスに関して頭を下げるのが上司という立場ではないのかと私は思いました。

しかし、決済印まで押してしまっている事実を会社に知られては、上司としても立場が危うくなる為、全責任を私に押し付けてきたという話です。


以上の出来事から、上司という存在価値は私の中で全くないものだと思っております。

まず最初に、自分で稼ぐ力を身につけようと考えました。

それはなぜかというと会社に属するという事は、その会社で定められた給料で生活をしなければならないという事は明確だからです。

だから私は、ネットを利用し毎晩帰宅後勉強に励みました。

毎日仕事がある平日は1時間~2時間程度。土日、祝日は3時間~4時間は副業に時間を使用していました。

それと継続して、転職活動も行っていました。

転職活動中の心境としては、やはり学生の時とは違い、社会というものを経験しているので、業種や会社情報などをしっかり見ながら把握できたと思います。

私の場合ですが、転職の方が確実に前職よりも良い職につける事がはっきりとしました。

副業と転職活動の両方を毎日継続し、半年で内定を獲得し、その1年後に副業で5万円以上稼ぐ力を身につけ転職し新たな会社でのスタートを迎える事ができました。

転職して一番良かった事は、人間関係が良くなり正当な評価を受ける事ができるようになった事です。

また前職では、会社の平均年齢が高かった為、仕事の悩みやすぐに相談をできる環境がありませんでした。

また、同年代がいない為、仕事に対してのやる気、活力など湧いてくるものが全くなく。

現在では同年代も多く切磋琢磨できる環境、気軽に相談できる良好な人間関係が構築できており、自分にとってとても良い環境だと思っております。

さらに前職では、新規獲得や何か業績アップに貢献したとしても、上司のお気に入りなどで正当な評価を受ける事がまずありませんでした。

現在では、出来高や業績貢献により歩合などで平等に評価されます。

自分自身の頑張りで正当に評価される為、仕事の熱意も前職とは比べ物にならないくら高い意識を持ったまま仕事に取り組む事ができております。





お客様からの一言で上司に対する不満が爆発。

(30歳女性)

普段穏やかなお客様に、上司の悪口を言われた時に退職を決意しました。

お客様と深く関わりがあった訳ではないですが、人格的に問題がある方ではないお客さんからの一言。

そしてその悪口に心から賛同してしまった時に、もう辞めようと思いました。

元々上司のやり方に疑念を抱いていたものが、お客様の口から出たことで気持ちが上司への不満が顕在化。

そして、そこの企業の一員であることが唐突に恥ずかしくなったのです。


その時私はベテランと呼ばれる社員で、社内では上司からも、部下からもわからないことはとりあえず私に聞いておけという雰囲気でした。

私は努力してここまで知識を身につけたのだから、当てにされるのは、正直ムカつく、といった心情もありました。 そこに、悪口を面と向かって言われる会社の代表的な社員であるというショックが加わって、辞めることを決意したのです。

退職を決意し、まず、本当に辞めるかどうか紙に書き出しました。

辞めたいと思う感情と辞めることによって発生するメリットデメリットを書き出すことで気持ちの整理をしようとしたのです。

結果として辞める決意がさらに強固になりました。

それから家族に相談しました。半年後辞めるつもりだと言って、業種に関わる資格試験を受けると今後の相談したのです。

家族も、私の決意を第一に考えてくれたので、相談内容はどうやって辞めるかや、いつ上司と話すかでした。

当時恋人がいたのですが、元々1年以内には結婚しようと話し合っていました。

半年後辞めることを告げると、では入籍して一緒に暮らそうという話になりました。

こういった経緯から、会社には結婚退職という説明になりました。順序は逆になりましたが、結果的には嘘ではないから良いかなと思っています。

結婚退職でしたが、資格試験の算段をつけていたので、将来へのお金の不安はとくにありませんでした。

会社を退職してお酒の量が格段に減りました。

帰ったら、とりあえず700mlは飲んでいたビールが、半分以上飲まなくても良くなりました。

完全にストレスでの飲酒だったようです。そのせいか肌荒れも落ち着いたのが嬉しかったです。

睡眠時間も、時間をかけて長く取れるようになりました。

それから、意外と自分が前職の仕事内容は好きだったことに気がついたのです。

仕事としてやっている時はプレッシャーも多く、そこまで向いているとは思っていなかったのですが。離れてみると、自分が楽しんでやっていたこと、苦ではなかったことを客観的に見ることができて、自分への理解が深まりました。

すぐに仕事を始めていたらわからなかったと思うので、敢えてブランクを作って良かったと思います。





会社の先行きが怪しくても危機感のない社員、あの時退職して正解だった

(32歳女性:会社員)

当時勤めていた会社では、一人あたりの仕事が増え、同じ部署の同僚も次々に辞めていき、ますます仕事が増え、圧迫する業務と焦りでミスが増え、余裕がない上司の叱責が毎日になり、それに萎縮してますますミスも増えてと悪循環に陥っていました。

順調だった会社の時代も知っているので、立て直すことを信じて毎日の残業も上司の苛立ちも耐える毎日。

しかし、上司や幹部もまた順調だった時代が忘れられず、変えなくてはいけないという意識が希薄です。

社員の希望・要望も曖昧な返事しかもらえず、かと言って改善しようとしている様子もなく、打ち合わせと称した飲み会やゴルフに興じる幹部達の行動に諦めた気持ちが次第に増大。

そんな中、上司のターゲットとなってしまったのです。

他の同僚と同じミスをしても私だけを吊るし上げるような怒鳴りが増えて、居心地も悪くなり、辛くなりました。

結婚を機に寿退職という体で退職届けを出しましたが、結婚がなくとも退職する決意は固まっていたのです。

転職も視野に入れましたが、残業続きの毎日で、いつの間にか土曜出勤も当たり前となっており、日曜日に面接できる会社が多くないので、仕事を続けながらの転職活動することは困難でした。

なので、夜寝る前に転職よりもフリーランスとなるための詳細を調べながら就寝するという行動がしていました。

人間を辞めたくなるように思い詰めるまで当時は追い込まれていたこともあり、しばらく何もしない休憩期間を作ろうとも考えました。

病んでいましたが、退職を決意してから上司の怒鳴り声に対しても、心を落ち着けさせ、まだ冷静に話を聞けるようになりました。 そして辞めるまでの期限が決まってさえいれば、毎日の業務も鬱々とせず取り組めるのです。

何より早く辞めたいと毎日思いながら仕事をしていたことを思い出します。

退職して、夜な夜な残業など仕事に縛られることがなくなり、ストレスフリーな状態。

今振り返ると、あんなに逼迫したブラック会社だったのに、1~2ヶ月に1度はある飲み会や社員旅行が変わらずあり、社長や幹部達に改善する気がない中で無駄な時間も多かったように思います。

無駄な飲み会等に付き合わないといけない社員じゃ無くなっただけでも、毎日の人生が有意義だと思えるようになりました。

社内の閉鎖的な人間関係にも疲れていたので、それに解放されただけで本当に嬉しいです。


辞める前にメインで使っている機材も古くてギリギリだった様子で、倒産も時間の問題だったかもしれませんので、倒産となってしまう前に無事に表向きにでは円満退職することができて良かったとも思います。





転職で年収3割増、恋愛・結婚にも前向きに

(34歳男性:会社員)

新卒で入社した会社で5年目を終えた頃、給料が入社した時から9,000円しか上がっていないことに気づきました。

大学の同期と会って会話する中で、どうにも虚しくなるような昇給の渋り具合です。

また、同じ部署・隣の部署の人とコミュニケーションをとると、今勤めている会社はむしろ今が一番昇給しており、これからはさらに賃金カーブが緩くなるということが判明。

多様性が叫ばれる世の中ではありますが、これからの人生を想像した時、自分は結婚して子供を授かりたいと思っていたにも関わらず、「このままじゃ結婚とか子育てとか考えられなくなるな」との考えが頭をよぎり転職を決意したのです。

この会社はどうにも仕事ができない人が多いなと感じてましたが、この給料ではそれもやむなし、当然のことであるなとの思いも同時に生まれました。

まずは、自分の理解が正しいか、世の中の年収の統計を調べることから始めました。

ネットで検索すると、やはり想像通り自分の年収が同年代の平均の中でかなり低いということが判明。

もうこれは辞めるしかないと決意を固め、そのまま転職サイトの情報を読んで、自分の譲れない条件(年収等)とスキルの棚卸を行うのに1カ月ほど費やしました。

そこから転職(エージェント)サイトの検討を行い、結局大手3社に申込みをして、エージェントとの面談をしています。

その後、3社のうち1社は自分が望んだ条件の求人案内がほとんどなかったので、1か月ほどで関係解消、2社に絞り込んで求人の案内を受け続けました。

両社からは毎日1~2件ほどという驚愕のペースで案件提示があり、取捨選択が大変でした。

エージェントとの面談から4カ月ほどの間に、25件ほどの求人に応募し、うち7件で書類選考通過、2回の面談を経て1社から内定をもらうことができ、入社意思を伝えてから、その時働いていた会社に退職願を提出し退職したのです。

転職して、まず年収が上がったことが最大のメリットでした。

入社時点で自分の年収が3割ほど上がりましたが、それでも、同年代の平均に届くかどうかでしたので、本当に低賃金で働いていたんだと実感しました。

転職するまで、考えるにしても年収がネックになっていた結婚についても前向きに考えることができるようになりました。


転職後に入った会社には労働組合もあり、会社と賃金について定期的に交渉する場も持っているので、100%満足とはいかないまでも、それなりの給料を安定してもらうことができており、とてもうれしく思っています。

仕事は自己実現とか、やりがいとかいろいろありますが、まずは当座の生活とある程度見通せる未来がないことには、そんなこと言ってられなく、そのためにはある程度のお金が必要です。

その意味で、ようやく人らしい賃金を得られたのではないかと思います。





職場での陰湿な嫌がらせ、友人の助けで何とか転職成功

(30歳男性:会社員)

職場内のパワハラ、モラハラ、嫌がらせが原因で会社を辞めたいと思うようになりました。

きっかけは些細な意見の食い違い。

新しく配属された職場で、ある意見を求められたので、自分で意見を発表しました。

すると、もともとのメンバーの一人が私に反論。

その翌日から、必要な書類をもらえないなどの嫌がらせが始まりました。

露骨なパワハラにより、心身疲れはじめ、戦う気力もなくなったのです。

上司に相談するものので放置。

そのうち、他の人からも嫌がらせがあり、部署全員のいじめ的な嫌がらせがあったのです。

結果として毎日職場に行くことが辛くて休むようになりました。

部署の全員からのいじめが始まり、すぐに辞める決心。

しかし、次の職場を決めてからと思い、耐えました。

まずは、手あたり次第エントリーをしたのです。

そのエントリーの結果が帰ってくるころから、会社を頻繁に休むようになりました。

職場に義理立てするつもりもなくなり、その間に就職活動に専念したのでした。

いくつかの企業から面接の話が来ました。

最初は疲れた心のためか、思うようにいきませんでした。

友人に相談すると、会って話をしてくれたました。

その友人に「そんな暗い顔だと絶対ダメ」と言われ気持ちが引き締まりました。

友人の誘いでやりたいことをやろう!と一緒に色々してくれました。

そのおかげで、顔もすっきりしたと友人に言われたのです。

「明日からは自信もって、話して来いよ」と励ましをもらいました。

すると翌日の面接の結果から続けて3社ほど採用通知が来たのでした。

その中で条件の良いところに決めました。

新しい職はアットホームな感じでした。

特に上司の人柄がよく、明るく打ち解けやすい職場だったのです。

そんな職場なので嫌がらせなどなく、意見交換もちゃんとできたのが一番うれしかったです。

仕事内容は以前と同じなので、楽しく仕事をさせてもらっています。

収入は若干下がりはしたものの、余裕ある心を取り戻すことができました。

そのおかげでスキルアップや将来に向けて自己啓発に励んでいます。

以前ならそんな将来を考えることができなかったのです。

明日はどうしようか、次は何が起こるか、この仕事をした後なんていわれるか、などマイナス面ばかり考えていたのです。

それが今では、明日は何をしようか。次はどんな仕事をしてみよう。この仕事でみんなが幸せになる。など前向きな思考になりました。

そのことが一番良かったと思います。





転職でストレスが激減、給料が減ったのに貯金が増えた

(32歳女性:会社員)

人事異動で上司が変わり、八方美人で長いものに巻かれる部長が自分の直属の上司になりました。

他部署との連携が多い部署で当時主任をしていた私は他部署との連絡係を勤めていましたが、部長が八方美人で長いものに巻かれる性格な故、他部署の上司の反応で意見がころころ変わります。

その度調整をし直したり、変更の謝罪に他部署を行脚したりすることが増え、「内容がころころ変わる」と他部署や部下からの私の信用も失うようになりました。

どんだけしっかり確認して仕事をしても部長のせいで仕事ができていないと判断され、部長は自分の評価が下がらないように全て私に責任を押し付けるのです。


そんなことの繰り返しで精神的に辛くなり、それまで忙しいながらにやりがいを感じていた仕事が苦痛になるようになりました。

回りが自分をどう評価しているかも不安になり、どれだけ丁寧に仕事をしても急な修正で残業を強いられることも増え、心身共に疲弊し「会社を辞めたい」と思うようになったのです。

「会社を辞めたい」と思った時には、心身に異変が起きていたので、まずはかかりつけの内科クリニックに受診し心療内科を紹介してもらいました。

そこから心療内科で統合失調症の診断を受け、診断書を受領。

翌日に部長に口頭で報告、総務部に診断書を提出し会社を辞めたい旨を伝えました。

休職することや他部署への異動を提案されましたが、上司が同じ会社にいる以上、また一緒にしごとをしないといけないのが苦痛で退職を選択。

年明けすぐのことだったので、年度末までに有給消費をし退職する運びとなりました。

転職活動をしようと転職サイトに登録したものの、体調不良がなかなか良くならず、一度しっかり休養したかったので転職活動を中止し、次の仕事も決まらないまま会社を辞めました。

退職金や失業手当を受け取る予定ではありましたが、固定給がなくなることにとても不安を感じていました。

それでも退職して良かったと思うことの一番は心身の健康を取り戻せたことです。

統合失調症と診断された私でしたが、仕事を退職して1ヶ月程度で体の調子が元に戻ってきました。

一旦中止していた転職活動も再開でき、無事転職することができました。

そして、転職して意外だった良かったこともありました。それは転職して前職より収入が減ったのにもかかわらず、貯金が増えたことです。

前職では総合職で役職もついていたため、同世代の女性よりも多いお給料をいただいていましたが、ストレス発散のため服飾や飲食に散財を繰り返し、貯金はほとんどありませんでした。

転職をしてからは職場環境が良くストレスがほとんどなかったので散財する癖もなくなり、驚くほどに貯金が貯まりました。

転職することでお給料が減ったので、退職したことを後悔しかけたこともありましたが、結果、転職して良かったと思います。






転職5回、技術力と経験さえあればどこでも通用する自信

(27歳女性:会社員)

歯科衛生士の専門学校を卒業して新卒入社したクリニックを私は1年未満で辞めることになったのです。

新卒のためどのクリニックが自分にあってるのか分からず、仲介業者を介して就活をし入社をしたのですが、新卒を雇ったのが私が初めてのようで職場の方々の教育方針や先生の考えが最初は分からず言われるがままに全て対応するようにしていました。

日に日に残業が増え、契約書に書いてあった残業代が給料に反映されず。

残業代が支給されないのは変形労働時間制をとっている為と言われましたが、残業時間は適正な業務以外の雑務やミーティングの時間だったので毎日が精神的に辛くなっていきました。

仕事にまだ慣れず上手くできない時も多く、先生の機嫌が悪く八つ当たりをされることもありました

次第に体調が悪くなり、ついに私は突発性難聴を患い医者からの退職をすすめられます。

職場のクリニックの先生に退職の旨を伝え、1ヶ月後の退職が話し合いにより決まりました。

スタッフの方々にも事情を話し、わかってもらえたのでその日から体調がどんどん好転。

次の職場を決めるまで時間は少し余裕があったので働きながら転職活動をしていましたが、新しい環境で働きたい気持ちが先行していたので前向きな気持ちしかありませんでした。

転職活動も最初は仲介業者を使っていたのですが、自分でも気になるクリニックがあれば面接、見学へ行くようにしていたので合計7ヶ所のクリニックを見学、面接することができたのです。

過去の経験からどんな場所で働くのが良いのかよく考えながら決めることが出来たので転職活動はそこまで難しくありませんでした。

社会人になってから転職は計5回程してきましたが、転職して良かったなと今でも思います。

今の時代我慢してストレスをかかえながら働き続けるのは美徳とはされていないからです。それに他にも働ける場所がたくさんあるからです。

技術力などを自分で身につけていればどこでも働いていける自信がありましたし、給料も下がらないで転職をしてきたので恵まれた方かとは思います。


自分の強みをそれ以上にアピールしながら転職活動をし、会社に貢献できるような姿勢をみせ続けたからだと思いますが転職しても完璧な職場環境、待遇があるとは限りません。

それでも転職して良かったと思うのは沢山の方と触れ合う中で自分自身が成長することができ、コネクションや頼れる人や味方になってくれる人も増え、他の人には無い自分だけのものを手に入れることが出来たからです。





永く勤めた職場からの転職活動は刺激的で、転職後も毎日新鮮

(41歳女性:会社員)

長年勤めた会社を辞めて転職をしようと私を突き動かした、最後の一押しになったのは、オフィスの移転と新しい上司がやってきたことです。

オフィスの移転先は、それまでより遠く不便なうえ環境もあまり良くありませんでした。

また、それとともに副社長の縁故で無能な上司が入社してきて、あ~もうこれはもう本当に辞めどきかもと感じたのです。

どちらにしろいずれ転職を、といつも考えてた私にとっては、退職理由としても、実際に転職活動に行動をうつすきっかけとしても、ついにやってきたちょうど良い機会なのかも、と考えるようになりました。

蓄積されたストレスと新しい不慣れなオフィスに疲れてはいたものの、会社を辞めようと思ってからは、気持ち的には前向きになりました。

けっこう気楽になった部分もあったように思います。

常々、給料がもう少し高いところにキャリアアップをしよう、いずれ良いところを見つけたら転職しようとは考えてはいました。

それでも現実は仕事もそれ以外の生活も多忙で、気持ち的にも時間的にも、なかなか転職活動に動けませんでした。 なので、会社を辞めたい、本当に辞めよう、と思ってからのほうが、気持ち的にもずっと前向きに積極的になり、アクティブに動けるようになったように思います。


まずは、諸々のアップデートから開始しました。

長く一箇所に勤めていたぶん、必要書類のコンテンツアップデートが大変でした。

履歴書や職務経歴書など、オンラインのポートフォリオ、ジョブサイト等の登録やらプロフィールのアップデート、とやることはいっぱいでした。

でも、会社ではいつも通りにしながら、スマホで転職活動をするのは大変だけどワクワクしました。転職先が見つかってから退職を伝えるまでの間は、毎日が楽しかったです。

転職して、退職のきっかけと転職の後押しとなった理由その1である、移転先の遠く不便なうえ環境もあまり良くないオフィスに行かずに、便利でアクセスが良く近い転職先に通勤しながら幸せを感じでいました。

また、副社長の縁故でやってきた無能な上司がいない、という爽やかな気持ちとストレスフリーな環境に満足。

私の場合は、ひとつの会社に長く勤めていたので、この退職と転職で自分の世界が少し変わったように感じます。

毎日同じところに通い続けて、毎日同じ人たちと話して、そういう生活がガラリと変わるわけですから、本当になにもかもがいつもと違って新鮮に見えました。

仕事にも惰性では無くやる気が出て、もっと積極的に取り組めるようになり良い効果がありました。






仕事を辞めて、視野が広くなって、体調も好転

(30歳女性:会社員)

職場の体制と人間関係のストレスからの体調不良によって「会社を辞めたい」と思うようになりました。

その会社は体力のいる仕事でしたが、元々病弱なこともあり面接の段階でそれを伝えた上で事務補助として雇ってもらいました。

事務が主な仕事だったにもかかわらずどんどん体力のいる仕事が増え、それによって体調が悪化してきたのに「今は忙しくて人手がないから仕方がない」「他の人も頑張っているから」と言われる始末。

確かに大変だったので頑張りましたが、今思えば我慢を強いてきただけで問題解決しようともせずにほったらかしにされたようです。

仕事よりも職場での過剰な尊敬や態度を強要する風潮など、仕事場の雰囲気もストレスとなり、ある日突然気を失って倒れてしまったのです。

会社を辞めようと思ったとき、自宅療養中でしたので、電話で仕事を辞めたいと伝えました。

ちょうど電話の相手は理解のある方でったので長期療養ではダメかと聞かれはしましたが、少し話をしただけでむやみに止めることなく話しを通してくださいました。

その後、挨拶と荷物の整理に行こうとしましたが、行こうとしただけで気分が悪くなり吐いてしまったため、急遽親族が対応することになりそのまま会社に行くことなく退職。

辞めたいと伝えたのが急だったので、転職活動をしておらず不安もありましたが、そもそも体調が大分悪かったようで入院するほどでなくてもいつも風邪を引いている状態で熱が出たり下がったりを繰り返していました。

そのため、無職の状態で体調を戻すことに専念。

仕事を辞めずに療養していてもまずいと思ったので今から思ってもよかったと感じています。

仕事を辞めて視野が広くなりました。

自分のしてきたことなどを振り返ってみたり、世間の情報をより見ることができたことで視野が広がりました。

自分にとって楽しいと思えるものも、なんの遠慮もなく観て体験して感じても良いのだと実感。


仕事場の人と無理に接したりすることもなくなりました。

他者に言われて初めて気づいたのですが、職場において人のプライベートに口をはさみすぎたり、やたらと人の見た目や行動を指摘しすぎる先輩方が多かった印象です。

仕事を辞めてから見た目からもわかるくらい明るくなりました。

ストレスからも開放されたからか体調も良くなってきて仕事を始める前と仕事をしているとき、体の調子が良くなってきたのも良かったと思うことの一つです。





転職は、今よりいい条件で、ストレスの少ない選択肢がベスト

(50歳女性)

社員の意見がなかなか通らず、ワンマン社長の言いなりにならざるを得ない状況に嫌気がさしました。

小さな会社で家族経営。

そのため、親子だけではなく他の親戚も働いています。

機嫌が悪いと出社しない娘、先が読めずに無駄にお金を使ってしまう息子。

従業員が20人ほどいましたが、大事なことは身内で決めてしまいます。

社員の声は全く取り上げてもらえませんでした。

家族経営だから当人たちにとっては当たり前のことかもしれませんが、これでは社員のモチベーションが全く上がりません。

お給料も安いし、若い人は一年くらいで辞めてしまうこともしばした。

年配者は早く首を切られてしまうという酷い会社でもありました。

先が見えない会社にいつまでも居続ける意味はない、そう感じたのは入社して間もなくです。

同僚にすぐに相談したのですが、同じことを思っていたことがわかり、お互いに辞める日に向けての相談をし、その日に向かうことをモチベーションに日々過ごしていました。

まず、退職の日を一年後くらいに設定。

目標を設定することで、自分にやる気を起こさせます。

現在いる会社でやり残すことがないように資料を整理してまとめたり、引継ぎのための資料を作成したり、ゆっくり目立たないように準備していきます。少なくとも10カ月~1年くらいかけます。

その間に次の就職先を探しです。

様々な斡旋会社に登録し、職歴を見直してベストな選択肢を模索。

必要なスキルがあれば勉強するなどして備えたいので、やはり1年くらいかかってしまいます。

すぐにでも辞めて転職したい持ちがあったとしても、いきなり行動に移すのは危険。

転職は今いる会社よりも良い条件でないと意味がないと思っています。

次に繋げるための準備期間にどれだけのことができるか、自分を見直して本当に今辞めても良いのか考える良い機会でもあると思います。


転職したことで、お給料の面だけではなく、良い仲間と良い上司に恵まれたことは何よりも大きかったです。

出勤は毎日のことですから、なるべくストレスがない方がいい。

仕事以外の人間関係のストレスはできるだけ避けたい。

そういった面でも転職は意味があると思います。

また、環境が変わることで新たにモチベーションが上がりました。

一から学ぶことがあるし、これまでのスキルを活かせる部分も出てきます。

やりがいが大きくなって、自身も出てきます。

仕事とは直接関係ありませんが、転職先に美味しいランチスポットがあるのも魅力的でした。

働いている時のランチタイムは唯一の憩いの時間。

以前はコンビニくらいしかなかったので、これは雲泥の差です。





退職して手に入れた「心身の健康」が一番のボーナス

(34歳男性:会社員)

私が会社を辞めたいと思った理由は「残業の多さ」と「電話営業による心の疲弊」でした。

当時、私は投資用不動産の営業をしている会社に勤めていました。出社は10時と世間よりもゆったりとしていましたが終業は終電ギリギリ。

残業があれば深夜0時を越えることも珍しくありませんでした。

また、毎月のノルマの進捗状況によっては休日出勤も当たり前。たまの休日は日々の疲れを癒やすように家でゴロゴロと寝て過ごすことが多くなり、あっという間に一日が終わります。

さらに、電話をかけては断られ、かけては断られるといった個人営業スタイルにも心が疲れてしまいました。

一日でも早く辞めたい。今すぐにでも会社を飛び出したいと思ったほど。電話をかけながら「自分は何をしているんだろう」という気持ちが強くなり、心療内科に通院するほどになりました。

こんなに心身ともにボロボロになるまで、ここの会社で働く意味があるのか?と自問自答した結果、退職することを決意したのです。

私が退職を心に決めてから上司に申し出るまで一週間ほど悩みました。

上司は体育会系バリバリの営業職のため退職の胸を伝えても一蹴されてしまうと思ったからです。

それでも、心療内科に通って「うつ」であると診断されたことで退職の決意はより強いものになりました。

当時は退職を伝えるために出社することも嫌になるほど精神的に追い込まれていたと思います。

上司との面談では「体調を崩してまで今の仕事を続けることは無理だ」と涙ぐみながら話しました。


退職を希望する場合は「遅くとも退職日の1ヶ月~3ヶ月前に伝える」ことが一般的だとされていますが、心療内科での診断書を提出すると次の日には休職となり、そのまま退職へと手続きが進んだのです。

当時の私は、次の仕事を探さなかればいけない不安よりも「これで明日から激務の毎日に戻らなくてもいい」という安堵の気持ちでいっぱいでした。

私が退職した直後は「上司に怒られ続けながらの激務の日々に戻らなくてもいい」という気持ちが強かったのですが、時間の経過とともに自分自身の時間が持てることの素晴らしさに気づきました。


趣味であるバスケットボールをする時間や友だちと一緒に笑って過ごす時間、スキルアップのための読書の時間など。

不動産の営業をしていたときでは考えられないほど充実した日々を過ごすことができています。

ことわざに「石の上にも三年」とあるため、就職して半年もたたずに辞めてしまった私は「根性がない」と思われてしまうかもしれません。

それでも、自分の健康を害してまで続ける仕事は本当に正しいのかなと疑問に思うこともあります。

「心身の健康」を得られたことが退職しての一番のボーナスだと思っています。






うつ病になって「頭がいかれた奴」とのレッテル

(43歳男性:会社員)

社内での人間関係がひどく、会社は、人員が減りつつも新たな人な採用をしないで。残っている人だけで仕事を回そうと考えていうようでした。

長時間と過重労働にストレス、賃金は上がらないという最悪のスパイラルに飲み込まれ、メンタルをやられ、常にイライラし、酒を飲んで憂さ晴らしする日々。

家族から医者に行った方がよいと言われ、診断の結果うつ病の疑いがあり、適応障害との診断がくだり、さすがに経営者も考えてくれるだろうと思い診断書を見せました。

しかしながら環境に変化は見られず、ことある度に、お前は頭がずっといかれた人だと罵られ、今まで会社のために頑張ってきたことは何だったのだろう。

あるいは、このままこの会社に在籍したとしても、病気の人という評価はついてまわるし、会社から大事にはしてもらえないことが明らかになり退職を決めました。


初めは会社に対して怒りの感情でいっぱいでした。

営業の合間や休憩時間にハローワークへ顔を出して、求人検索や所有している資格を検討し、給料は下がってもよいからまともな会社で長く働けるところはないかと、書類の準備。

有給休暇を取って面接に行ったり、引退した先輩に相談して次にどうしたらよいかを検討しました。

また、その間に資格試験の勉強をはじめて、しばらく食い繋ぐだけの貯金はあったので、仕事が決まらないならば資格を活かして独立して稼ぐことができる道も模索。

ずっと家にいると気分が上がらないので、1時間くらいかけて近所を散歩しました。

今まで家と会社の往復で季節の変化にはあまり興味がなかったのですが、森羅万象にリアルに触れる機会が得られたのは実に良かったと思いました。

おかげさまで退職から2ヶ月で内定をいただいたのです。

身体は正直で、退職して無理にずっと我慢を強いられた環境に身を置くのがどんなに良くないことか実感。

異常な環境に慣れるように努力するのではなく、改善しないような会社なのであれば逃げることは悪ではないと思いました。

給料を稼ぐことだけのために働いているといつか倒れます。

それから起き上がるまで会社は待ってはくれないし、そうなる前に一歩を踏み出すことが大事です。

年齢が上がると転職は無理だろうと思われているふしがありますが、それは会社の思う壺で、やり方しだいで十分可能です。

これからは転職が当たり前になる時代ですから、おかしな環境から出て行くことができ、ようやくやり甲斐の感じられる仕事に就けて、良かったと感じています。






建築現場の施工管理の重労働に限界を感じた

(62歳男性)

もう二十年ぐらい前のことなのですが、ある建設会社に勤めていました。

はじめは営業として採用されたのですが、実地の経験を積むとして、現場、道路補修の現場の施工管理のようなことをさせられました。

はじめは、営業として現場のことを知ることも大切だろうし、実際、営業は現場の仕事の中で、関連企業として同じ現場の企業さんに営業の話を仕掛けていく側面もありました。

最初、現場に行くときは、そんなものかなと、そんなに気にもかけず、職場の先輩に連れていかれました。

最初はそれほど嫌だとは思っていなかったのですが、道路補修のウオーター・ジェットという技法を使った、日本でも少し珍しい特殊工法の現場では、作業員たちが大変な労働を強いられていました。

初めの頃は、先輩の補助的な施工管理だったのですが、一年ぐらいたって、一人で独力で現場の施工管理をしなければならなくなったのです。

現場の作業は結構すさまじく、重労働できつく、それを管理する側も、楽ではありませんでした。

それらが、「辞めたい」と思った主な理由の一つです。

「会社を辞めたい」と思った一番の理由は、この会社で働き続けても、娘(当時三歳ぐらい)が幸せになれない、というものでした。


給料はわりとよく手取り30万円ぐらい(二十年ぐらい前の当時)で、ローンを組んで買ったばかりのマンションを手に入れ、妻との共稼ぎで十分にやっていけました。

ただ私はわりと転職が多く、それが経済上の不安定さの要因です。

現場の重労働を伴う作業員たちの施工管理は、体力面よりも精神面での負担が大きく、生まれてまだ程ない娘を育てていくには、あまりよくない環境だと感ぜずにはいられません。

そのため妻には内緒で、自分だけの判断で思い切って辞めてしまったのです。

退職にあたって妻に無断で辞めてしまったことが、妻の実家に知れてしまい、妻の母(義母)から、猛反対され、辞めるなら次の就職口をみつけてからにしなさいと、きつく言われました。

それでどうしようもなく、会社の辞職を撤回する旨、その会社の社長に伝えると、作文(文書)を書きなさいと言われ、そうしたのですが、結局のところ私の書いた作文では、辞職撤回を認めてもらえず、正式退職となりました。

会社を辞めて、精神的負担、現場の重労働の作業の、施工管理という負担の大きさから解き放たれたということは良かったのです。

私は、もともと出版業界の、編集実務の仕事をしている期間が長く、大学を卒業して、二十代半ばまで東京で編集の仕事をしていたのですが、事情でいまの(今現在も大阪在住)大阪に戻ってきたものですから、本業は編集の仕事です。

ただ出版業界は東京一極集中で、90%以上は東京に集中していると思います。

その中で、数少なく大阪で編集の仕事をみつけたりしたのですが、あまりいい編集の会社はなく、また40歳近い(当時)という年齢のこともあって、編集の仕事にそんなにこだわれない状況にありました。

そこで幅広く仕事を探していく中で、その建設関連企業に応募したのです。

建設会社の現場の仕事の、施工管理の補助的な仕事、だったらまだいいのですが、一手にその負担を負う一人での施工管理の仕事は私には無理です。少し、身に染みて感じました。





仕事が辛すぎてもうやりたくない。人前で涙したあの時

(38歳男性)

当時の自分はまだ16歳でした。

会社での人間関係や仕事について行けず、まだ遊びたい気持ちの方が大きかったですね。

大人達の中で仕事するのも大変でした。

工場での仕事だと周りは男性の方が多く女性なんて入ってきたらミンナ喜んでしまうほどだったと思います。

女性と話をしようものなら睨まれたりしていました。

仕事も重く大きなもので移動させるだけでも一苦労でした。

免許の必要なクレーン操作が出来ないため、先輩達にお願いに行かないといけない事も正直しんどかったです。

仕事に慣れてきてもやはり作業漏れや確認漏れが多くよく叱られていました。

今も対して変わってないですけど…。

そんなある日帰りの電車の中で親友の顔をみた瞬間、辛くて人も沢山いるのに涙が出てきてしまいました。

「もう辛くてやりたくない」と親友に話していた事を今でも忘れられないです。

会社を辞めようと決めてからはほとんど会社には行かなくなってしまいました。

とにかく、行きたくないと引きこもり寸前まで行きましたね。

最終的には会社に電話で「会社辞めます。」っと伝えて一度は会社に行き社長と話し合い会社を辞めました。

しばらくは何もせずに引きこもりをしていました。

まだ、年齢的に親の援助がありましたので生活は出来ました。

しかし自分には働く以外の選択肢がなかく、親友の会社が募集をかけているとのことでしたので、親友の会社で面接を受けて採用していただいたのです。

友達も近くにいるし前の会社よりはみんな親切にしてくれたので長い間勤務することができました。

今ではリストラされてしまいましたが、親しくしていた人達とは今も連絡を取り合っています。





サラリーマンを辞めて得たものは、ゆとりのある時間と心の豊かさ

(59歳男性)

もともと子供たちが社会人になり、一人立ちが出来るようになったら少しでも早くサラリーマンを辞めたいと考えていた。

基本サラリーマンは時間を会社に売って収入を得ているわけで、自分の意に反した仕事もこなさなければならないものです。

全く仕事にやりがいがないわけではありませんでしたが、どこまで行っても収入を得る目的で自分の時間を費やしているという気持ちで勤めていました。


長女は2年前に結婚し、残る長男も昨年末に結婚したので、そろそろ残りの人生は自分の意志で時間を使える生き方がしたいという思いが強くなったのです。

当然その後の収入がなくなることも、すぐにセミリタイヤ的なパートタイムの仕事が見つかることも難しいことは覚悟していました。

年金生活を送ることができる65歳まではまだ数年あるが、必要最低限の経済的な見通しは整ったと判断したので退職を決意しました。

ずっと会社を辞めたいと思っていたので、実際に辞めるまでに準備したことは、まず経済的なシミュレーション。

退職から最悪65歳までの空白の期間に収入がまったくなくなっても生活していけるかどうか。

年金生活に入っても当然年金だけでは不十分なので、その後の不足分に対して妥当かどうかなど、よくあるインターネットのファイナンシャルプランナーによる記事なども参考に自分なりのシミュレーションを何度も行いました。

また現在アメリカ在住の為、アメリカでは個人で医療保険に入ると相当高額の負担が必要になります。

家内と二人分でおおよそ日本円で一月当たり13万円程度が必要になります。

以前はもう数年アメリカで暮らし、年に2~3か月は日本で暮らすなどと考えていましたが、この医療保険と実際病気になった場合の医療費の高さがアメリカでは付きまとうので、日本への帰国時期を現在検討しています。

仕事を辞めたメリットは、なんといっても自分自身で時間の使い方を決められることに尽きます。

現在は、クラウドソーシングサイトで海外在住でも在宅で出来そうなアルバイトを探しながら生活。

いろいろな仕事の案件やライティングの仕事、簡単なものではアンケートなど、世の中には本当に様々な仕事があること、かつての自分の時間単価の高さを改めて知ることができて大変勉強になっています。

土地柄、趣味のゴルフはいつでも出来る環境なので、平日でも家内や同様にリタイヤされた知人と一緒に自由に時間を調整してプレーを楽しむこともできることは、お金には代えられない時間の使い方だと感じています。

ただ遊んでばかりでは、別の意味での生きがいが足りないと思うので、早く納得できるパートタイムジョブを見つけて、人生のバランスを保てるようにしていきたい。





仕事の重責に抑うつ状態。この会社に自分の居場所はない

(48歳男性)

ちょうど結婚して1児を得たばかり、夜泣きでなやまされ寝不足の毎日。

社内での昇進試験に合格し、主任になり給料は上がったけれども、その分責任が重くなり今までやってきたようには自分の事のみ考えたり、好きなようにはなかなか仕事ができず、かなりストレスが溜まる毎日だったのだ。

帰宅も12時近くが毎日で家族との団欒や会話も少なくなっていき、仕事をするというより、なにかやらねばならない義務感しかなく、興味が少しも持てずにこのままでいいのか、自問自答の繰り返しだった。

そんなときに、上司が長期で入院自宅療養になり、その仕事が一気に自分へふりかかって完全にキャパオーバー。

誰かに助けを求める器用さや工夫できる余裕もなく、一人抱え込んでしまいもう心身ともに限界に達してしまったのだ。

家庭でも妻とうまくいかなくなり休まる居場所がどこにもなく、会社にも相談できる仲間がだれもいない。

一生懸命仕事をこなしてはいたが、そういった助けてくれる仲間を探したり作れなかった自分の力のなさに本当に打ちひしがれ、ただただ自分を責めてしまった。

結果心身を完全に壊して、医者からは「抑うつ状態」と診断されまともに出勤し仕事ができる体調を取り戻せず、倒れる前にやめるしかないと思い、次の事とかはなにも考えられず辞職を選択した。

自分は会社を立ち上げたり自営業とかやれる自信があまりなくて、できれば会社に残りたかった。けれども、どの部署へいったとしてもここの会社に自分の居場所はないことも同時に感じていたので、辞める時は後ろ髪をひかれる気分だった。

うつ病で一度目は2ヶ月の休職、復帰するも不安定がぶり返して二度目の休職二ヶ月。

休職期間中は妻と子供とは別居状態。一応実家の世話になる道をとった。

しかし、休んでいてもどこか仕事のことが頭から離れず正直休まった気は全くしなかった。目覚めると吐き気が襲ってきて、すこしでも復帰に向けてもがいてみた。

近所の遊歩道をひたすら散歩したり、調子の良いときはランニング。時間が急にできたので、宅建の資格試験の勉強にも取り組んでみた。

でも結果が出ずに、試験類はすべて不合格。何をやっても空回りの時期だった。休職期間も使い果たし会社から事実上の退職勧告をうけ、正直頭は真っ青で辞めた。

退職して長期間になっているが、社会復帰を目指して現在も精神科へ通院しながら、まずは日々を大過なく過ごせる安定したメンタルと体力の回復にむけて頑張っている。

失業保険である程度はカバーできるが、自分のように心身をめちゃくちゃに壊してしまったうえでの退職は本当に未来がない。

次の転職先を見つけずに辞めると、あっという間に経済的にも精神的にも追い詰められる危険性が高いので、転職退職は本当に良く考えてから、次どうするかはちゃんと決めた後やめた方がやはり良いと思っている。後悔だらけです。

仕事がない事、仕事してない自分がなんて悲しくてちっぽけな情けない存在なんだと毎日思うけれども、仕事があるのが当たり前という固定観念から開放されて、仕事探しを1から考える時間をえられた事は良かったことと言えると考えている。


生きる上での視野が大きく広がった。仕事は与えられるだけのものじゃない、本来掴み取るものだという厳しさを会社員生活の中で忘れていたのかもしれない。

現在の通院先でも多かれ好かなかれ自分と似たように退職して、社会復帰目指して頑張る仲間が大勢いる。

あのまま突っ走って無理して仕事を続けていたならば、もっと最悪な事態もありうるのは、今になって考えてみれば想像ができる。これまでの人生、いらぬ義務感ばかりを背負い込みすぎて頭でっかちになりすぎていた。

テンプレののような人生だったのかもしれないと本当に後悔がやまない。自分が楽しいと思えることをしたのか?

本当の意味で自分の人生を生きるとは、その総量なのだと最近思うようになってきた。楽しいことを感じ、見つけてのめり込むのは本当に難しい。

楽しいことへ素直に向き合わずに生きてこられなかった自分の視野の狭さに、少しでも今気づけた事が一番にして最大の良かった事だと思う。

今は十分に時間を使って、心身を整えて諦めず焦らず、どんな形になるかはわからないけれども、また社会復帰できるよう一日一日を丁寧に暮らして行きたい。





従業員を大切にしない会社におさらば

(50歳女性:会社員)

会社側から当初応援で他の会社へ2日間の派遣命令がありました。

しかし実際は説明のあった会社とは別の会社へ3カ月派遣されたのです。

言われた会社も期間も違うと言ったところ「ちゃんと説明しただろ」「お前が嘘をいうな」「お前は人間として生きてる価値が無い」と言われて、もうこの会社は信用できないし辞めたいと思いました。

この時に、肩と腰を痛め全治半年と病院から診断されたのですが、労災は落ちない、本当にケガをしたのか?と疑われ更に辞めたい思いが募ります。

私がこのような状態にある中で周りの同僚数名が同じような境遇にあっており、仕事中に倒れてしまう方がいて医務室に運ばれたり、胃腸炎になり1週間ほど入院することになった人がいたり、インフルエンザで高熱が出ているのに出社しろと電話をかけて強引に出社させて、周りに感染してしまったり

とてもコンプライアンスも労働者への安全配慮も何もない会社だと思い、ますます辞めたいと思うようになりました。

会社側へ30日後に退職したい旨を伝えたのですが、退職日は会社側が決めると言われ50日後位だったと思います。

有給が残っていたのでそれを消化するため10日程申請したのですが、それも却下されていて知らずに休んだので無断欠勤の状態になってしまいました。

事務側からも有給について何も説明されません。

会社側から退職日を勝手に指定されて、とても悪意を感じたのです。

どこまでも私に意地悪をしたいのでしょう。

雇用保険申請をするにしても、最期の月がマイナスですから貰える額も少なくなります。

それでも、ケガをしていて病院に治療で週3日程通っていたことやもう辞めてしまいたいという思いが先にたって、その日での退職に応じる事にしたのです。

退職日を会社側が決めるというのは初めての経験でしたし、友達や家族からもそんな話は初めて聞いたと言われました。

辞める迄の1か月以上の期間で胃も痛めてしまいました。

とても就活できる状態ではありませんでした。

退職してとりあえず心がどれだけ荒んでいたのかよくわかりました。

胃は穴が開く寸前でしたので手術には至らず服薬治療のみで大丈夫だったこと。

肩と腰は通勤のバスの揺れが辛かったので、静かに体を休める事ができ、毎日治療に行くことが出来た事。

後から同じような境遇になって自殺未遂をした若い子が居たことを知り、我慢して会社に残っていたら私も精神を病んで自殺していたかもしれないと考えると怖くなりました。

もう、あの会社へ行かなくていいと思っただけで心が軽くなりました。

今はアルバイトで別の企業へ就職をしましたが、上司の方も同僚の皆さんも常識もマナーもあり、居心地もよく気持ちよく仕事をさせていただいています。

先の仕事に見切りをつけて本当に良かったと思っております。





イジメやパワハラ、上司や同僚との相性が悪いなど、人間関係による退職



一般的に、どんな会社でどんな仕事をするかが注目されます。

しかし、どんな上司、同僚と一緒に仕事をするかは、実はもっと重要な場合が多いものです。

尊敬する上司やウマの合う上司、同僚と一緒に仕事をしていれば、嫌なことでも耐えられることもあります。

好きな仕事でも、上司が嫌な人だと、仕事に行きたくなくなるでしょう。

「会社を辞めたい」と思うとき、上司や同僚などといった職場の人間関係が原因になることは日常茶飯事です。

職場の人間関係が原因で、会社を辞めた体験談で、真意を探りましょう。



仕事についていけず、お局の執拗な嫌がらせに疲弊

(47歳男性:公務員)

新しい部署に異動するなり、同じ部署にいるお局様から執拗な過干渉を受けるようになったり、仕事内容も難しくて覚えるのにかなり苦労しました。

やがて入ってきた新人には「あなたの仕事の仕方が気に入らない」と難癖をつけられたり、上司にも一切仕事を評価してもらえなくなったり、周りの同僚もみんな怖くて心を開けなかったり、ということが重なり、気持ち的に退職に追い込まれてしまいました。

当時は本当に苦しくて仕方なくて、家族や友人にも八つ当たりしてしまって、周りに心を閉ざし始めて、疎遠になってしまう人も増えてしまい、孤独感が増大。

孤独になればなるほど、イライラするばかりといった悪循環に陥り、通勤電車に乗っていたり、街を歩いていたりする時も、休日の時も、常に周りに対して警戒しまくり、この世の中は敵だらけだという気持ちでいっぱいでした。

お局様に嫌味な態度をとられたことをきっかけに、同じ部署の人みんなにわかるような形で、そのお局様のひどい態度を告げ口するような共有メールを送信してしまった後、精神的な病気を理由にその日から病気休暇を取得し始めました。

その後、病気療養を続けながら、復職するか否かと随分悶々と考えて2年間ほど過ごしましたが、復職することを考えるとどんどんウツ状態がひどくなるばかりなので、ついに退職届を出したい旨を上司に伝えることを決心。


その後も気持ちはだいぶ揺れましたが、最終的には上司から「客観的に見て復職は無理そうだ」というきっぱりとした指摘を受けたことで、観念して退職届を出すに至りました。

その時点では転職活動はしませんでしたが、クラウドソーシングのサイトに登録して雑所得を得る練習をすることで、退職後も元気に暮らすためのモチベーションを維持し、新しい仕事を見つけるきっかけを作ろうと努めました。

やはり退職すると、精神的にだいぶ楽になったことが一番よかったです。

お局様をはじめとして、私を一切評価してくれない同僚たちに二度と会わずに済むし、嫌いな内容の仕事からも逃れられる、というだけでもだいぶ気持ち的に違い、ウツ状態から抜け出すことができました。

クラウドソーシングサイトに登録し、少しずつ人様に仕事を認めてもらえる機会が増えたことで、今までいた職場だけがこの世のすべてじゃない、ということがわかったのも何よりの収穫でした。

定期的なまとまった収入が途絶えることになり、金銭的には厳しくなるけれど、今まで我慢して働いてきた分だけ貯蓄の備えもそこそこ出来ていることもあって、心機一転して新しい仕事にいろいろとチャレンジしてみたいという気持ちになれたのです。





パワハラを野放しにする会社に退職届を突き付けた

(40歳男性:会社員)

同僚からの誹謗中傷や無視などのパワハラで仕事を辞めたいと思いました。

新しい部署に異動になって3~4カ月ほどの頃から顕著になってきました。

まだまだ新しい仕事にも不慣れなところがある状況で、ようやく少しずつ業務を主体的に進められるようになり始めたという時期。 はっきりした原因はわからず、私の仕事がまだまだ至らなくて迷惑をかけてしまっているのだろうと当時は思いましたが、今にして思うと、周囲の人からの評判も踏まえると、単に口が悪く、そういう性格の人物だったのだと思います。

具体的には「ポンコツやろう」「お前のせいで仕事が増えた」「俺のメールに即レスしないとは何様だ?」などの暴言や、メールや電話を無視するというものでした。

当時はだんだんとノイローゼのようになってきて、口数が少なくなっていました。

ただ当時の本人としては、悪いのは相手ではなく、あくまで自分が悪いとしか考えられず、自分を追い詰めていたのです。

当時、ノイローゼ気味にスマホが手放せなくなり、10分に1回はメールチェック。

夜中もたびたび目が覚めてスマホをチェックしてしまうというありさまでした。

心配した妻から病院に行くよう進められ、不安障害と診断されたのですが、まずは医師の診断書を持って上司と話し合いました。

上司も私の様子がおかしいと感じていたようで、理由がわかって納得。

私は辞めたいという言葉を出しましたが、まずは少しゆっくり休んで、その間に話し合おうと勧められました。

有休も溜まりに溜まっていたので、2週間お休みをいただき、2週間後に再度話し合いとなったのです。

2週間かけて、徐々に私の思考やメンタルも正常になってきて、「自分が悪いんだ」と思い込んでしまっていたところから、「これは明らかなパワハラじゃないか!」と今度は怒りが湧いてきました。

その結果、周りにこれ以上迷惑を掛けたくないから辞めたい、という気持ちから、あんな奴が幅を利かせていて、それを知りながら放置してるような会社にいられるか、と、辞めたい理由も、変化。

2週間後の話し合いで、そういったパワハラの事実を会社に突き付け、その月末で退職することになりました。

会社を退職手して、心と身体が明らかに回復。

不規則な生活や極度の寝不足から解放されて、その当時は気づきませんでしたが、とにかくひたすら寝ていたと妻は言っていました。

身体が回復してくると徐々に心も元気になってきて、前までは休日はとにかく休みたかったのですが、キャンプや家庭菜園を始めたり、子供と外に遊びに出掛けるたりと前向きな気持ちになってきたのです。

食事も前までは義務的に摂取しているような感覚だったものが、ご飯が美味しいと感じるようになったり、夫婦の会話も劇的に増えて仲が戻ったように思います。

たかが仕事です。そのせいで人生を犠牲にする必要はないですし、私は、たかが仕事から解放されたことで、人生そのものが前向きに変わるほどの体験をしました。






社員を大切にしない会社に不信感。自尊心をもって働ける職場を求めたい

(43歳男性)

やはり人間関係です。リーダー格の人が3人いて、その下に10人?15人がついてチームごとに業務にあたっていました。

ある日突然、何の前触れもなくリーダーの一人が無駄欠勤、そしてそのまま退職となりました。

リーダーが一人抜けた穴埋めはなく全体の業務の量は変わらないため、ただ一人にら降りかかる仕事量が増えただけの始末。

あとから聞いた話しによると突然失踪したリーダーはある仕事のミスの責任をたった一人で被せられて辞めるようになったと聞きました。

それで一気に会社への不信感と何かあったら会社は自分を簡単に切り捨てると思い、ここで長く働くのはよそう、転職を考えたのです。

私が会社を辞めるまでその事実は明らかにならないままでした。コミニュケーションのパイプがない、会社状況も不透明なところで業務だけを淡々と果たすというのに無理があると思いました。

信頼している上司に転職を考えていることやなぜ自分がこの会社を辞めようとしているかを正直に話しました。

私の話しを最後まで聞いてくれましたが最後に言われたのは「私は何の力もない。あなたの助けにはなれない。なぜなら自分も同じ立場だから」と。

それで会社方針というより上層部の決定が100%なんだと分かりました。

仕事をするには会社方針、目標に則って業務を遂行したいものです。

でも上層部が全てであるならば、たとえ成果を出して評価されることはあってもそれはたまたまその時の状況に沿っただけのことで自分自身が評価されるのではないと分かりました。

人生の中で大半が仕事をしています。自分の自尊心や誇りは持ち続けて働きたいと思ったのです。


転職するのに三十代後半になっていましたが人生を豊かにすることの方が大事だと思い転職に踏み切りました。

転職して、以前働いていたところに比べて会社の規模も半数以下になりましたし、従業員も半分以下の人数ですが、とにかく密なコミニュケーションがあり、みんなが意見を出し合う事ができます。

転職するまでは「男社会の会社なのでうまくやっていけるか」と心配でした。転職先は建築関係の仕事です。

それでも、数人しかいませんが女性の意見はとても尊重され大事に扱われています。

なので、今は正社員ではありませんが、でも前職よりもやりがいと責任を持って働くことができています。

会社の方針も自分の課ではない部署でも助け合うという精神なので、今新たな分野の仕事も勉強中です。

働きながら、またこうして自分を向上できる機会を与えてくれる職場に本当に感謝しています。





責任感の乏しいパワハラ上司に失望、他業界に転職すると職場環境は激変

(32歳男性)

当時、私は青果市場の会社に勤務しておりました。

勤務時間は24時間365日。

研修において、会社幹部から「24時間365日働いてもらうつもり」だという名言がありました。

採用してもらったという恩義から、一生懸命頑張って働いて、会社に恩返しをしようという気持ちで働いておりましたが、青果というものはお天道様の気分次第で出荷が増減するものです。

出荷量に左右されながらも懸命に働いておりましたが、相場に左右されて損してしまう事が往々にしてありました。

ちょうど私が担当者として働いていた時、好天の影響で出荷量が激増して相場が急降下してしまい、仕入額と販売額の差損が出てしまう状況となった時がありました。

当時の部長(K部長)から呼び出しを受け、「生産地には悪いが俺が言った値段で買い付けろ」と言われ、とんでもない安い値段で生産地から仕入れることとなったのです。

その結果、生産地の上層部の方々が怒りの形相で会社に突然押しか、K部長を呼び出せと捲し立ててきました。

私はK部長を呼び出そうと思い、会社内を探し回りましたが、どこにもおらず、何とか説得して、矛を収めました。

しかし、生産地の上層部が帰宅した後、K部長はひょっこり現れました。聞くとトイレの個室に逃げていたとヘラヘラと笑って話しているのです。

この時、責任を取るのは組織の上ではないのか、また指示を出した張本人が責任感の欠片もない人だと絶望し、退職を決意しました。

上記のK部長は、無責任なだけでなく、数々のパワハラのエピソードを持っており、私もそのパワハラのターゲットになりました。 パワハラの証拠を抑えるべく、録音機を携帯し、突如くるパワハラに備えておき、ある時録音することに成功。

録音後、会社内でやれる事はやったと考え、転職活動を行います。

転職活動では、就職氷河期から一転して好景気となっており、人手が足りていない企業が非常に増えており、様々な業界で求人募集が掛かっておりました。

自分が働いていた青果市場の業界は勤務体系などもブラックであり、他業種への転職を考えておりました。

他業種への転職はハードルが高いかと考えておりましたが、当時20代半ばであった私は、「他業種への転職をするなら今しか無い」「今ならまだ他業種に転職しても後悔しない」という考えており、無事に他業種へ転職する事ができたのです。

前の会社で入社した時は、「会社を辞めるなんてせっかく入ったのにもったいない」「転職は甘え」など考えていましたが、転職して考えが180度変わりました。

今の職場は非常に働きやすい環境であり、上司にも信頼を置く事ができる職場だったことも運が良かったかもしれませんが、働く環境が重要である事、働きがいがいかに重要かなど、改めて人生における仕事とは何かを学ぶ事ができたと思います。

また、働きやすい環境になった他にも、仕事で評価され年収が大幅に上がった事、長期休暇も取りやすくなり目標であった海外旅行へもどんどん行けるようになった事など、職場環境は大幅に好転。

社内で培ったスキルを生かして、キャリアアップも図れるようになるなど、多くのメリットがありました。


転職せずに前の会社で仕事を続けていたら、うつ病になって仕事をする事ができなくなってたのでは無いかと思っています。





昼食を会社の人間と取らないと輪を乱す?職場の人とウマが合わなくてストレス

(25歳女性)

会社の人間と合わないことと、仕事内容がつまらないこと、それが会社を辞めようと思った率直な理由です。

私は転職前とある会社の事務職をしていたのですが、短調で代わり映えのない仕事に飽き飽きしていました。

また、私の性格上あまり大勢の人間と関わると疲れてしまうことから、会社でのお昼などはひとりで過ごしたいと思っているタイプなのですが、会社の人間はみんなで食事をとるのが常らしく、それに賛同しないと、輪を乱す人間扱いされてしまいます。

ある日、上司に呼び出されて、その際に、ひとりの方が気が休まるので、お昼くらいはひとりで過ごしたい、と言うことと、別に皆さんを嫌っているわけでも、不満があるわけでもなんでもないということを説明したのですが、わかってもらえず不審な目を向けられてしまいました。

小学生くらいならまだしも、いい歳こいた大人が群を作って食事する必要なんかないと思うのですが、なかなかその会社の人たちとはウマが合いませんでした。

嫌だと思ったり、合わない場所で耐え忍ぶことでメリットがあるならいいのですが、経験上、嫌だと思ったらすぐにその会社から逃げる、というのが正解です。

頑張って耐えても報われる可能性は低いからです。


なので、すぐさま転職活動をし始め、運よくいいタイミングで次が見つかったのでその会社はすぐに辞めました。

個人でもフリーランスとして仕事をしていることもあって、お金の心配はなかったので、決められたことでもあります。

なので、仕事といえども、今の時代は副業をしていることも別に普通のことなので、いざとなったら嫌な場所からはすぐに逃げる方がいいと思います。

無理に我慢して、精神的に壊れてしまうことの方が、危ないからです。うつ病や、精神疾患になれば、直すのにはかなりの時間がかかるでしょうし、次にすぐ働くなんてことも難しくなるので。

転職したことで、新しく仕事を覚えなければならなくなったことと、積み上げてきたものがなくなるというデメリットはあります。

それでも、何よりも自分が働きやすい環境で働く方が以前よりも働くことに強いストレスを感じることもなくなりました。

なんと言っても人間は感情の動物なので、気持ちを押し殺して我慢して他人に合わせるなんてことは向いてないです。


会社の方針や、社長の考えなんかも面接時に聞くようにもなりました。

それから、前の会社員よりも自分の得意なことを仕事にすることにしてから、自分自身の成長も感じられたりします。

これは前にはなかったことなので、変えて良かったと思うことの一つです。何よりも、合わない人たちがいる仕事場で仕事しなくていいというので、気持ちが軽くなりました。





職場を牛耳る「お局」に媚びを売らず。お局の餌食に

(31歳女性)

食品の製造工場でパートとして働いていました。

工場内に入るまでに髪の毛が完全に隠れるように帽子を被る、健康チェック、手洗い、靴洗い、ホコリを落とす作業をしなくてはなりません。

食品を扱っている工場なので当たり前のことなのですが、これが私には正直面倒くさいなと思っていました。

これはやらなければいけないことなので、文句を言うでもなくきちんとやっていたのですが、問題は同じ職場のパートさん。

昔から長く居るいわゆる【お局】さんという方なのですがこの方がとにかく現場を仕切っており、この方に気に入ってもらえれば良いラクな仕事がもらえる、気に入られなければ悪い嫌な仕事をさせられるという感じでした。

私は楽な仕事を貰うために、お局に媚びを売るようなことはしたくありませんでした。

入社したての頃は言うことを聞いていたのですが、だんだんと慣れてきてからお局に反抗的な態度をとっていたら、ずっと嫌な仕事を割り当てられてしまったのです。


その頃から少しずつ「仕事を辞めたい」なと思うようになりました。

ここの職場は9割ほどがパートさんで1割ほどが社員、たまに派遣の方が来るという環境で、仲良くなった社員さんによく愚痴を聞いてもらっていました。

その社員さんもお局さんの私に対する態度がひどいことを理解して下さっておりました。

「会社を辞めたい」という話も何度か聞いてもらい、そのたびにまだ辞めるのは早いんじゃないと言っていただいけましたが、お局さんの私に対する態度が日に日に厳しくなっていく一方。

辞めたら負けだと思って頑張って仕事を続けていたのですが、このまま我慢して仕事を続けていたら精神的に辛くなるだけだと思い、まだ転職活動をしないうちに仕事を辞めることにしました。


派遣の方で少し話すようになった方がいて、その方に辞める話をしたら残念だけど仕方ないねと言っていただき、お局さん以外の人は優しい方ばかりだったので辞めるのは少し残念な気持ちもあったのです。

仕事していたときは出勤するのがとても憂鬱で、今日はお局さんに何言われるのだろう、今日はどんな仕事を割り当てられるのだろうと恐怖心がありました。

しかし、仕事を辞めてからお局さんに対するストレスや恐怖心がすべて無くなったので、一気に気持ちが楽になったのです。

本当だったら転職活動をして次の仕事が決まってから退職をするのがベストだと思います。

それでも、ストレスや疲労がどんどん溜まっていく中で次の仕事が見つかるまで我慢して今の仕事を続けるより、スパッと辞めてストレスから解放されてから、ゆっくり次の仕事を見つけるほうが自分には良かったです。

また、子どもを保育園に預けていたため、職場と真逆の場所にある保育園に子どもを預けてから職場に行くのも大変だったので、それが無くなったのも退職して良かったなと思います。





若くして出世したが、部下に理不尽に怒鳴られ退職を決意

(29歳男性:会社員)

中間管理職まで出世したものの、若くしてその立場に立ったために周囲からのやっかみに合いました。

上長もその状況を助けてくれることも無く、指導しにくい部下と何もしない上司の板挟みになって心身ともにダメージを受けてしまったのです。

そんななかで仕事ばかりが自分に集中し、限界を迎えていました。

仕事をしない上司の仕事まで私にふりかかってくる始末。

このままでは倒れてしまうと思っていましたが、結婚したばかりの妻も病気で退職していたために、なかなか退職に踏み切れませんでした。

そんなあるとき、自分の指導が正当なものであったにもかかわらず、部下から怒鳴り返されるという事態に遭遇。

部下の激怒には筋が通っておらず、ただの逆切れでした。

上司を上司とも思わないような部下の言動と、それを見ていたのに注意すらしない上司に完全に嫌気がさし、絶対に退職しようと思いました。

まずは有給休暇を、周囲の反対も無視して強引に取得し一週間程度休みました。

その間に、会社の人事に相談して、退職の準備と部下のパワハラ告発のための証言確保にいそしみました。

部下がやめるか自分がやめるか、というカードをもちだしもしました。

会社を交えたパワハラ対応や、上司の無能ぶりへの告発を一通りすませてから、職場に居ながら求職活動を開始。

普通に転職サイトに登録し、一週間ほどである程度、面接を受ける会社を定めました。


これまでの中間管理職としての実績が認められて、すんなりと選考には通ることが出来、スムーズに内定を取ることが出来きたのです。

元の会社では、ほとんど引継ぎ以外の業務は行わず、部下や上司にもつっけんどんな態度を取りつづけました。

職場が回らなくなっており、いい気味だと思いながら退職の日を迎えたのです。

転職先は人間関係にも恵まれ、同様に中間管理職になりましたが、上司がしっかりしているために指揮系統が出来上がっており、部下も自分の正当な指示はきちんと聞いてくれるし、指示が間違っていると感じた場合には、冷静で理性的に反応をしてくれます。

非常に納得して仕事を進めることでき、風通しが良いと感じています。

待遇面では前の会社よりも多少落ちましたが、長く働くことができそうだという希望があることが一番です。

前の会社では心療内科にも通う羽目になったため医療費や時間もかかっていましたが、だんだん薬の世話になることも減ってきて、トータルで考えれば出費も抑えられるようになっていると思います。

転職によって環境を変えることが出来て本当に良かったです。





タイトなスケジュールでの仕事を丸投げ。部下を蔑ろにする上司に失望

(50歳男性:会社員)

大学を卒業して就職したソフトウェア会社に17年間勤めていましたが、当時の直属の上司がいい加減な人で、部下の仕事の管理が全くできていない状態でした。

私はある顧客のところで出張の形態で1年近く新規システム開発と導入の仕事をしていましたが、当初予定に無かった機能を非常に短いスケジュールで完成させる必要が生じました。

そのため上司に対して追加人員の要求をしたのですが、他の要員は全員忙しいからお前の力でなんとかしろと私に指示したのです。

しかし予定していた開発項目だけでも細かい修正などが発生していたため、切羽詰まっていた状態。

毎日夜遅くまで残業しており、ほとんど寝る時間もなく体力的にも限界が近づいていました。


そんなとき、上司が顧客の所に挨拶にやって来ました。私が必死に仕事をしている前で上司は顧客と世間話をしながら談笑しています。

ちょうど夕方の時間だったので、顧客の方から私の上司に対して食事(飲酒を含む)のお誘いがありました。

顧客と上司は私の仕事の状況など気にする素振りもなく、そのうちに上司が「食事に出掛けるからお前も早く支度をしろ」と言ってきたのです。

スケジュールに全く余裕が無かった私は、当然の如く「私は仕事が終わらないので同行できません」と断りましたが、「お前のその態度はなんだ。お客様に対して失礼だ」との発言。

私としては、仕事を期日までに終わらせることが出来なることの方がもっと失礼なことで、ビジネスとしても許されないことだとの考えです。

その時、私はこの会社を辞めようと決意したのです。


顧客のシステム導入が無事に済んだ後、会社に帰るの電車の中で今まで自分を支えてきた心の中の糸が、急にぷっつり切れてしまいました。

その日は会社へ戻らず、行く先も考えずに地方の旅館のような所に宿泊。

そして上司宛に「しばらく休ませてほしい。今後については後で改めて説明する」という旨の手紙を書いたのです。

その手紙が会社に届き、色々な人の目に触れたことで、その上司の管理能力が欠如していたことを認めてもらえました。

一方で、私は同じ部署の他のメンバに自分が休んでいる間に大きな迷惑を掛けてしまったという負い目を感じずにはいられず、

仕事を続けていく気持ちが消滅してしまったのと同時に、他に何もやる気が起こらず、メンタルクリニックを受診し そのまま半年ほど休職。

後先を考えずに退職をしてしまったため、転職活動は全く行っていませんでした。

退職前は従業員が5000人を超える、いわゆる大企業に勤めていましたが、現在は従業員が50人以下の小規模な会社で働いています。

仕事の内容は以前と変わりませんが、プレッシャーを感じることが少なくなり上司や同僚との関係も良好な状態を保てていると思います。

もし転職をせずに以前の会社に残っていれば、収入は現在よりかなり高い水準にあったと思いますが、モチベーションを保つことが出来たか(復職して以前の状態に戻すことが出来たか)については、あまり自信がありません。

転職して新しい環境に自分を置いたことで、これまでの自分から「脱皮」することが出来たような気がします。

厳しい状況に置かれたとき、それを乗り越える強い意志や心構えも必要だと思いますが、人それぞれ限度があると思います。

自分は「負け組」になったのではなく、自分から新たな道を切り拓いたとポジティブに考えていくことが重要だと思っています。





職場に行っても何もやることがない。なぜ私を採用したの?

(26歳女性)

主人とは社内結婚だったので、結婚を機に会社を辞めて、それをきっかけに前職の会社に入社をすることにしました。

前職は主人と同じ会社にいた頃と仕事内容が似ていて、福利厚生もバッチリだったのでそこに決めました。

初出勤の日、まず驚いたのは制服が用意されていなかったことです。

2週間以上前から内定が決まっていて、内定をいただいたお電話で服のサイズも聞かれて、用意すると言っていたのに 間に合わなかっただけだと思うようにしようと決めた直後、担当の方が来て、「ごめんなさい忘れてて」と言ってきました。

この対応の悪さは今まで勤めた会社ではなかったので、本当に驚きました。その後10日間ほど制服がない状態で仕事をしました。

私が最も退職しようと思うきっかけとなったのは、配属先での出来事です。

配属先には男性社員の方が9割という環境下でしたので私を指導してくださる方も男性社員の方でした。

最初の3日間はその方に金魚の糞のようについて歩いて会議に出たり、資料を作成したりと慌ただしくしていましたが、3日間が終わると急にその方から何も指示が来なくなりました。

その男性社員の方と他同部署の方に何か私でもできることはないかと聞いて回りましたが、皆さん忙しいのか「ちょっと待って」一言で終了。

私はまだ1つも仕事を与えられていなかったので、言い方は悪いですがやることがなく、8時間勤務のうち7時間はひたすら暇で、見よう見まねで資料の整理をしてみたり、皆さんの周りを掃除してみたり、3日間の会議の内容や会社のことを無駄に調べてExcelにまとめたりしていました。

その後1週間、2週間と時間だけが過ぎていき、この状況が変わることはありませんでした。

部署にも会社にも馴染めず、耐えきれずに辞めてしまいました。

本当に疑問なのは、指導してくれた方や同部署の方々はなぜ私を放置したのかということ、なぜ求人を出したのかこの2点に限ります。

最初の3日間、私は何か気に障るようなことをしてしまったのかと自分を責めました。

私がいなくてもすでに成り立っているのに何の為に私を入れたのか。それだけが理解できませんでした。


これをきっかけに私は自律神経失調症を患って今現在も治療をしています。当時は本当に毎日がつらく、会社に行くことがこんなに嫌だと思ったことは今まででありません。

会社を辞めたいと思ってからは早かったです。まず会社の人事担当の方に連絡を取りました。

時間を作っていただき、今までの経緯をお話しして退職の意思を伝えました。そこで何度も退職を止められ、苦戦しました。

人事の方が、「配属先には私から話すから、だから辞めないでほしい」と。どうしてもとのことだったので一度はその方を信じてみました。

ですが何も変わらなかったので、違う人事の方にご相談をして、ようやく退職を認めていただき、配属先の部長に退職届を提出しました。

提出した時にも考え直すよう言われましたが、お断りして退職まで漕ぎ着けました。何もしてくれない割にかなりしつこかったのを覚えています。

退職届を出してからは、気持ちが楽になりました。もう少しで辞められる・あと少し我慢すればいなくなれる。そう思えることがとても幸せでした。

自律神経失調症にかかってしまっていたということに気づけたことは良かったと思います。

あのままもし会社を辞めていなかったら、もっと悪化していたかもしれないし、しまいにはうつ病になっていたかもしれませんよと病院の先生に言われた時は、本当に退職して良かったと思いました。

これから先の人生において、心身ともに健康であることが何よりも大切だと考えているので、自分自身が壊れなくて良かったと素直に思います。

もちろん働くということは生活をしていく上で重要ですし、必要なことだと思いますが、時には休むということも必要なんだいうことを改めて実感することができました。

なかなか退職するには勇気もいるし、スタミナも使いますが、行動を起こすことの重要さを学びました。





2度の流産を経て妊娠、育児の大変さに無理解な上司に失望し退職

(41歳女性)

仕事は好きだったしやりがいもありましたが、結婚して環境が変化したことで、このままずっと家庭と両立を続けてくことは難しいと感じ始めました。

まず、業務量が多く、1人がみなければならない範囲が広すぎ、ギリギリまで残業。

それでも足りない場合は仕事をこっそり自宅に持ち帰っていました。

それはおかしいと思い会社の業務改善アンケートに記載した内容をもとに業務改善を上司にも掛け合い、直属の上司は内容を理解し改善したいと思っていると言ってくれたのです。

しかし、部長はなぜそんなに睡眠時間が短くなるのか分からないと言った風で、家事をしつつ働く女性の時間のなさを全く理解できてない様子でガッカリしました。

家事は妻、自分は仕事だけの男性上司には理解できないのだろう、改善されるまでには物凄い労力と時間がかかるだろうと、見切りを付けようと決意しました。

妊娠、流産を二回繰り返したのも大きかったです。


毎日遅くまで働く状況が続いてたし子どもも持ちたかったので、一旦休憩しても良いだろうと考え転職活動はせずに退職しました。

業務や働き方の改善を会社に掛け合い始めてから半年ほどで、仕事の区切りがついたところで退職したい旨を上司に伝達。

夫は辞めて休憩しても良いのではと言ってくれましたが、親はこれからは女性も仕事を持つべきと考えていたため、親には申し訳ない気持ちもありつつ何も言わずに退職し後ろめたさがありました。

退職後程なくして妊娠が分かり、それまでに二度流産していたため、それを理由に退職したということにして親には話しました。

無事に出産、そして出産後すぐに夫の転勤が決まり、その後知り合いもいない場所で子育てをすることになったため、子どもの手が離れるまでは就職せずに育児に専念することを決め今に至ります。

仕事をしているときは常に仕事と時間に追われ、駅までの道もいつも小走り、残業や出張が多いことで夫にも申し訳ない気持ちがあり、いつも気を張って私がちゃんとやらなければという気持ちが先行。

特に夫にはすごく気を遣っていたように思います。

今は、時間に余裕があり自分の好きなものは何だったのかなど改めて気がつくことができました。


現在、子どもを育てることがこれからの社会に貢献できる自分の仕事だと思い、地域の子どもたちのためにボランティアを行なっています。

社会への関わり方が変わったことで、いかにこれまで自分のために生きてきたのかと思い知ることになりました。

時間や仕事など自分がコントロールできることが良いことだと思っていましたが、そうでないところでそれを受容してしなやかに生きていくことのすごさを実感しています。





「仕事へのやりがい」「仕事を通じての成長意欲」が感じられないことによる退職


仕事にやりがいを感じない。8年続けた営業職を退職

(47歳男性)

自分の心に何の余裕も無くなっていました。

仕事のやりがいを見つけられなかったことが大きな理由です。

営業職というものをその会社で教わってこなかったし、自分も学ぶ努力をしなかったのもあり、年々増えるノルマに負け続けたことが要因でしょうか。

昔ながらのお客様の所へとにかく出向いて御用を聞いてこいという会社のスタイルだったのですが、社会人として初めての私には、それこそ社会の常識やカンコツなどが全くわからなかったので、失敗を繰り返して落ち込みました。

当然失敗すれば、リカバリーの為の余計な仕事が増え、休日返上、場合によっては自分の少ない給料から自腹を切る時もあり、だんだん何のために働いているのだろうと考えるようになってしまいました。

それでも8年ほど頑張っていましたが、この仕事を続ければ続けるほど、会社にもお客様にも自分にも家族にも全ての人にマイナスしかないと思いつめて、退職へと至ったのです。

このままじゃいけないな、仕事を辞めたいなという思いが具体的になった時は、すでに結婚していました。

少ない給料といえども収入が無くなるのが申し訳ないな、どうやって生活していこうなどと悩んだのをよく覚えています。

妻もきっと先の生活が不安になるだろう、反対されるかもと思っていましたが、意外にも辞めたいのなら辞めればいいと背中を押してくれました。

これで決心がつきましたね。

当時は雇用情勢が売り手市場の好景気だったのもあって、次の仕事を探さないまますぐに退職願を出しました。

そのあとは失業保険でしばらく生活できたので、のんびり探せばいいやと思いながらも3ヶ月くらいはひたすら家でゲームばかりしていて文字通りの引きこもり生活でした。

今思えば、よく妻が出ていかなかったなと思います・・・最終的には怒られましたけど。

その後は、転職フェアなる大規模相談会やハローワークに通って前職の営業職ではなく、やればやっただけの成果が出ると思っていた製造業の仕事を探しました。

ただ工場で働くということが全く未知の世界で、自分に務まるのか本当に不安な気持ちになりました。

なので複数の会社で面接を受けましたが、相手からよく「やれるの?できるの?」聞かれた時、正直わかりませんとも言えないので答えに困りました。

結局は、期間工の仕事で、自分に製造業の仕事が務まるか見極めようと思い、近所の工業団地に仕事を見つけ就職しました。

まずは仕事の相手が人から機械に変わったことで、自分の感情が素直に出せるようになりました。

もちろん、同僚や仕事そのものに影響させるようなことはしないですよ。

以前のように絶えず人の顔色を見て空気を読んで自分を押し殺すようなことがなくなったという事です。

心にずっとあった霞が晴れたような感じです。

文字通り見える風景がかわりました。

毎日の天気、季節の移り変わり、大袈裟ですが世界に色がついたと本気で感じました。

次に収入が増えたことと休日がしっかり取れるようになったことです。


これは妻が特に喜んでくれました。

前職では滅多に、一緒に買い物、旅行など行くことができず、寂しい思いをさせてしまっていました。

今は一緒に外出するだけでなく、習い事や趣味の時間を取ることができ充実した毎日を送れるようになっています。





自己成長と好待遇を求めて転職活動。新たな職場でさらに飛躍

(38歳男性)

当時会社を辞めたいと考えた理由は大きく2つあります。

ひとつは、これから先も出来る仕事の幅があまり広がらず昇進のスピードも比較的ゆっくりだと感じていたこと。

ふたつめは、待遇の向上が希望よりもスローペースだったことです。

会社については、単一事業を中心とした会社であったため、同社内で経験出来る業務がある程度限定されており、それは将来的にも大きくは変わらず、若干の閉塞感と自己成長への漠然とした不安感が募っていました。

また、より幅広い知見やスキルを身につけられる機会を求めると同時に転職市場での自身の価値を確かめたいという気持ちで退社の意向を固めたのです。


また、プライベートでも子供が産まれ、その教育にかけられる経済的側面からも、当時の会社の待遇条件ではあまり余裕がない状態が続きそうだったことも、会社を辞めてより好待遇の転職を模索するきっかけとなりました。

当時の会社を辞めて転職しようとはっきりと決めたタイミングはあったようでなかったと感じています。

将来への漠然とした不安感と転職市場で自身にどんな引き合いがあるのかを確かめるべく転職サイトに登録し、流れてくる求人情報を見ながら興味の引かれた案件について直接話を聞くということを、あまり頻繁ではないものの転職を決める前の半年間程繰り返しました。

転職活動時期は担当業務がひっ迫していたことに加えて、全社的な大きなプロジェクトの担当者(当時の直属の上司)が急遽療養のため担当から外れたことも重なり、職場で負荷はかつてなく重い時期でした。

それでも、ほぼ勢いで転職活動をしようと決めて動き始めていたのです。

あまり細かく状況分析や転職への不安などを感じるより先に行動していたことが、結果的には有意義な転職活動に繋がったと感じています。

実際に転職先が決まってからは、業務がひっ迫する中でどう上司に伝えるかを、転職経験のある先輩複数人に話を聞いて対策を立て、出来る限り波風の立たないように意向を伝えるように行動しました。

前職での経験値やノウハウを一定程度活かせる職場であり、且つ新しい分野の知識やスキルを獲得出来る新たな職場に転職出来たことは、自身の成長に繋がり、今後更に出来ることやチャレンジの幅が広がると感じています。

今までひとつの会社にしか所属していなかったことで、井の中の蛙であったこと、企業文化の違い、前職を外から客観的に見ることで得る発見等、社会や企業についてまた別の視野、視座で捉えることが出来たと思います。

また、幸運にも経済的側面での待遇良化となったことで、子供の教育や生活に余裕が出たことも転職したことのメリットです。

一度転職を経験したことで、今後のキャリアを終身雇用のような長期スパンではなく、一定期間の成長、習熟の後のキャリアアップ、ステップアップという選択肢でも考えることが出来るようになったことも自信に繋がりました。






会社に行っても仕事がない。「やりがい」を求めてフリーランスへ

(34歳女性:フリーランス)

私が前職を辞めたのは、仕事にやりがいがなかったことに尽きます。

毎日出社しても、書類の仕事もパソコンの仕事など業務量がとにかく少なく、正社員のわりには仕事の時間が余り過ぎている感じでした。

電話応対をするようにと言われていましたが、かかってくる電話も1日1件か2件、殆ど上司がいるかどうかの確認になるため重要な電話もあまりありません。


私は元々コツコツ何かすることが好きで、書類を几帳面に書いたりパソコンで文字打ちしたりすることを希望していました。

大学で求人票を探すときに一般事務と簡単に書かれていたためやりがいのある仕事だと思い応募したんです。

しかし予想以上に仕事もないし、リーマンショックが原因で自分の得意な仕事も生かせる場面が少ないのが現状でした。

仕事があるよりもないというのは辛いです。

お客や作業員から仕事の様子を見られているのがとても苦痛でした。

私が会社を辞めたいと思いはじめたのは、新入社員に入ってから半年たったときです。

最初は新入社員だから仕事が少なくて当たり前と思いましたが、よく考えてみると何か変でした。

他の会社はインターネットの口コミで見ると新入社員でも忙しいほど仕事があるという情報を目にしました。

同じ給料を貰っているのに何故仕事が少ないのか疑問に思ったのです。

また殆ど電話応対だけなのに月15万ほどの給料を貰っていいのか、長い時間働いていいのか疑問でした。

私が疑問に思っているように従業員も疑問に思っているのが伝わってきました。

それでも給料のお金を少しでも貯めたい気持ちがあり、もう1年頑張ることに。

1年経っても仕事が増える気配はなかったため退職しました。

すぐ転職活動をしなかった理由は、他の会社の評判も少なかったし、当時はフリーランスという職業も充実していなかったからです。

退職してもう1度自己分析や会社の評判をじっくり探すことが出来たことは良かったです。

前職では仕事が少ないため自分がコツコツ仕事が出来るところをアピール出来ませんでした。

今は以前より、どの仕事が忙しく、逆に忙しくない仕事はどういうところか分かるようになりました。

私は努力家なのでフリーランスという道に最近転職しました。

フリーランスになってよかったことは自分のスキルがあればあるほど人にアドバイスしたり文章で書いたり出来るところがいいと思っています。

自分の得意分野が人のためになることは私としても嬉しいですね。


また少なからず自分の好きなことで貯金が出来るのもいいです。

フリーランスなら自分で時間を決めて働けるため、給料が多すぎる、貰いすぎる、時間と単価が比例しないとい悩みも少ないです。





堅実な生活よりも夢を追いかけたい。自分の想いに迷いはない

(37歳男性)

高校を卒業してすぐに就職をしました。

当時としては夢を追いかけるよりも堅実に生活した方が良いと思って就職を選んでいた為、そこまでの情熱を持つ事が出来ませんでした。

そのうちにやはり夢に向かって挑戦したいという気持ちが大きくなっていきたのです。

ただ、仕事としては周りの人からの信頼も頂き始めていましたので、やめるかどうかというのはもの凄い悩みました。

その気持ちの中で仕事をしているとやはりうまくいかない事も増えたりして、それがより一層会社を辞めたいという方向に動ていきました。

夢と仕事が両立出来れば良かったのですが、どうしても上京が必要だったりした為どちらかを選ぶ必要がありました。

そこで、途中から仕事を上京費用をためる為と割り切ることで仕事への集中を高めていって最終的に目標金額に達成した時点で退職を選択しました。

夢に向かって行く為の退職だった為、出来る限り貯金をためる為の活動にシフトしました。

また、同時に夢を叶える為には何をするべきかというものを具体的に調べて最低必要な資金等を調べていきました。

正直夢に向かうなら中途半端にバイトをするとかという選択肢はとらずに、集中できる環境にしたかったので、その為に仕事は大分頑張っていきました。

ただ、中々会社に言い出すことが出来ずにそこだけは大分勇気が必要でした。

結局やめるという事を誰にも相談せずにやめる1か月前に急に会社に伝える事となってしまいました。

正直会社の方々には迷惑を掛けてしまった所もあると思いますが、そこは自分を優先させて頂きました。

実際に報告をしてからは先への希望と不安が入り混じってちょっと心が揺らぐときもありましたが、そこは夢の為に頑張ろうと誓っていきました。

やはり、夢が叶う叶わないは一旦置いておいて自分のやりたい事に対して全力でやり切ったという感覚を持てたことが大きいです。

今はまた普通に働く事になっておりますが、その時に経験のお陰でなんのしこりもなく仕事が出来ています。

自分が他のことに悩みながらする仕事は苦痛でしかない為、そこは一度しかない人生ですのでしっかり決断することが吉だと思っています。

今現在としては別のFIREという夢を目指して全力で働く事を選べています。

何事も目標を持って、出来る限り自分に正直に就職・転職・退職を選んでいくことが大事だと思います。

新しい環境になれるのは大変だったりしますが、その分得ることも多かったな今では感じられています。





退職して一気に体が軽くなった

(32歳男性)

元清掃業です。

余り指導してくれる会社ではありませんでした。大体のことは「慣れだよ」で済ませられてしまうのです。

どうしても苦手な作業があり結構具体的に疑問点を上げても何も解決してくれず「慣れだよ」。であるのにも関わらず自分で試行錯誤していたら「仕事が遅い」とせっついてくるのです。

理屈っぽい人間なのでその時点でかなり不満がたまっていました。

元々仕事が向いていない自覚もあり、成果も上がってない上にいまいち上達している実感も得られておらず、周りから当てにされていない状態であるのを肌で感じている状態で業務時間は割と毎日苦痛でした。

しかも毎日早朝からの出勤がほぼ固定で、残業状態と環境が良いわけでもなく給料も最低限。

ですが仕事自体は好きだったしやりがいは感じていたのでスキルアップすることだけを期待して仕事は続けられたのですが、ある日、休憩中に少し皆から離れて休んでいました。

しばらくして戻ったところ「バックレたのかと思った」というような意味合いで馬鹿にされて、会社の人間に対する責任とか義理とかすべてがどうでもよくなり、翌日退社。

正直、会社の人間を人として全く尊敬しておらず、何かを教わったようなこともなかったので自分にそのような最低限の常識がないようなふざけた物言いをされた時点で仕事に対するモチベーションがすべて真逆のベクトルに働いたような感覚がありました。

言っていいことと悪いこともわからない人間にできるレベルの仕事なら、どうせ自分にでもできると思うことにして、いつか「暇つぶし」にでも修得してやろうと思います。

突発的にやめて、直後にコロナ禍となり転職活動はできていません。

勤務期間中は「仕事をする」=「失敗がまた一つ重なる」みたいな状態だったので毎日が苦痛な状態で、休みも無理して仕事を頭から忘れさせるようとしてリラックスにならない状態でした。

いざ辞めると、一気に体がかるくなったので、思っていたよりはるかに心に負担となっていたのかもしれません。

「そもそも聞いたことに答えてもらえてない」という根本問題もやめて心が落ち着いたところではじめて気づきました。

この体験はかなり新鮮で、他人に対して鬱屈した感情を抱きがちだった自分が「世の中捨てたもんじゃないな」と思えるようになった体験でした。

人生で初めて収入源という大事なものを捨ててしまったにもかかわらずこんなに明るい気持ちになるとは思ってもみませんでした。 この前向きな気持ちは1年程たった今でも失われてはいません。

まずはいやな奴と会わなくなったこと

やはり働くなら気が合うとまではいかなくとも、何考えてるかわからない理屈に合わない奴はだめだと悟りました。

我慢がどうとかそういう話ではないです。会社の連中同士は気が合ってるみたいだったのでそういうものなのだと悟りました

ポジティブなものだと、視野が広がったことは唯一のメリットです。

無茶な勤務時間のせいで一日にできる事がかなり制限されていたのが取っ払われてできることが増え、生活スタイルをいろいろ試せるようになったのは大きいと思っています。

ほかには、安易な就職活動は良くないと身に染みたことで上昇志向が強くなったことも、退職して良かったことでした。

せっかく得た時間を現実逃避のために使うのではなく自己投資のために使えるということが喜びなのだと理解できたのです。

自分の生き方!なんて贅沢なことが言える立場とは思ってませんがそれでもまだ上を目指せるうちに変な会社から抜け出せたことは良いことだと確信しています。





理不尽な部署配属とサービス残業に疲弊

(39歳男性:会社員)

会社で出世したいと思い一生懸命頑張っておりましたが遂に心の糸が切れてしましました。

私が担当する部署は数値目標が非常に厳しい部署や、周りの環境の変化で、これから厳しくなっていく部署ばかり。

私も勘違いをしてしまい、期待されているから厳しい部署を任せられて貰っていると思っておりましたが、何度も何度も前途したような部署ばかりに異動させられ、次回の異動に期待をしておりましたが、全くその兆候はありませんでした。

そんな中、徐々に会社への不信感が高まっていきましたが、変わらずに働いておりました。

しかし、サービス残業当たり前の時代で、サービス休日出勤当たり前の環境で働いており、仕事へのスキルは大変得るものが多かったですが、会社への不信感は高まるばかりでした。

そんな中、人事異動で再度、非常に厳しい部署への異動が決まった事で私は退職を決意したのです。


転職活動はせずに会社を辞めたのですが、私は子供はいませんが既婚者ですので、「会社を辞めたい」と思ってからまずは妻に何度も何度も相談しておりました。

そして辞めてからの収入面を考慮した行動を計画し、その事も一緒に妻に相談し承諾してもらってから、1か月ほど前に直属の上司へ退職の意向を伝えたのです。

部下には全く伝えず、仲良くしてくれていた他部署の方々にも退職の意向は全く伝えませんでした。

それから意思確認の電話が直属の上司、本社の上司から来ましたが、その電話には出ずに文面でのやり取りを希望し、人事部より郵送で書類が送られてきました。

その書類には今後の退職に向けての書類が入っており、その書類を提出する事で退職の手続きが完了。

その後に、仲良くしてくれた他部署の方々には電話ではなく、メールで連絡を取り退職したことを伝えました。

退職して色々な事に対しての考え方や視野が広がりました。

一つの企業に勤めていると、その企業での価値観や考え方に捕らわれてしまいます。

その事にも気づかさせてくれたことは大きな収穫です。

私は同業種の違う会社に転職する事が出来たのですが、恥ずかしながら最初から、つい最近まで上手くいかない事が多く大変なことが多かったですし、これからも色々な事が降りかかってくるかと思いますが、色々な考え方を受け入れることが出来る様になり、一度きりしかない人生を充実した日々で送れるようになっております。

これも、退職した経験があったからこそだと思い、非常に感謝しております。

また、転職活動への知識も少しは養われているので、万が一、再度転職活動を行う時はフットワークが軽くなると思います。





一つの会社での自分の大きな存在感。その幻想に気が付いた

(40歳女性:会社員)

上司や同僚達は和気あいあいとして、環境は良かったです。

しかし、社長は現場の意見を聞き流し、大事な場面では不在という、いざという時頼れない相談できないというより、報告できない様子でした。

上司や同僚達はいい人達で、お互いに助けあえるチームワークがあり、その仲間達が何故この社長についていくのか疑問を感じるようになったのです。

辞めたいという気持ちが忙しさに紛れ込み、結構は仕事を日々こなさないといけないので、そんなこんなで長くは勤めましたが、30歳を機に、他に目を向けようと思い、決心して退職。

辞めて世界が広がりました。

私が退職すると、その部署が困るのではないかと言う心配をしましたが、それは私のうぬぼれだったようです。

ちっぽけな自分ということもわかりました。

転職する前は、律儀に前の職場の方へ失礼にならないかなと思っていましたが、そんな心配は全く必要ありませんでした。

毎日が多忙だったので、次の職を探す気力はありませんでした。

とにかく、一回辞めて休憩しようと思たのです。

私が辞めることを知った社長は、どことなくよそよそしくなり、なんだか寂しかったのを覚えています。

大人の世界は、こういうことなんだろうなと受け入れました。

辞めてからは、肩の荷が下りが、しばらくは呆然と過ごす毎日。

忙しく身体が悲鳴をあげるが、その職場に行かなくていいとなると逆に暇に感じました。

同僚達は、私が退職する事を心から悲しんでたように思いますが、社長は慣れっこなんでしょうか、素っ気ない感じ。

私の何を求められ認められこの職場に居たのか?自分では全く分かりませんでした。

元職場では中心的な存在で居られるときもありますが、それはとても小さな世界で成功の浸っているだけなんだと、自分の事を客観視できました。

転職して、新しい場所や新しい人々と過ごせることが、とても新鮮でした。

私は取り柄もないですが、次のお仕事を選んだり見つけたりすることがとても楽しかったです。

全く知らない土地に行き、知らない人と毎日会う事はとても刺激的でした。

自分で仕事のやり方を学ぼうとする姿に気づきました。

そして、私を求めている人がいると言う喜びを感じました。

時々、元職場の上司や同僚たちに会いますが、胸を張って、今のお仕事を教えることができます。

ジャンルは全く違うものですが、今までの培った仕事力を生かして、新しい人生をしっかりと歩み始めていると思いました。

こんなに環境が変わるだけで仕事場でのテンションが違うので驚きです。

そして、新しい自分の未来を自分の手で押し広げたように思います。今では転職して良かったと思います。






男女平等が名ばかりであった時代の女性社員の苦悩

(58歳女性)

所属する会社は、大変働きやすくとても気に入っていましたが、同じ部署の中のある一人の行動がとても我慢がならなくなり、辞めたいと思うようになりました。

当時は、男女雇用均等法が始まったばかりの頃で、セクハラ、パワハラなどという言葉もない時代です。

表面的には、男女平等という風潮を仕方なく受け入れようとしていた男性たちでしたが、気持ちは、まだまだ女性は、お茶くみ的な存在と軽視されていた時代であるのだと実感していました。

ある時から、いつもその人にじっと見られている感覚、朝出勤すると、机の下にぬいぐるみなどのプレゼントを置かれていたり、ある日には、机の上には取れかけたボタンのスーツの上着が置かれていることもありました。

その人は、課は違ってはいましたが、同じ部署。立場的にも課長という役職でもあり、なかなか相談できる人もいない状況です。

ある時、直属の上司の課長にそれとなく不満を伝えましたが、特に何も解決をしてくれる様子も見られませんでした。本当に辛く毎日が地獄でした。

私が、その人の行動をおかしいと感じ始めたのは、会社の事務所が、古いビルから新しいビルへと移転し、私とその人との机の配置が、離れていたもののちょうどお互いの目線が合う向かい合わせだったこともあったかもしれません。

いつも何か嫌な感じがあり、その方向には、その人がぼーっとこちらに視線を向けているのです。

その人は、おしゃべりでもなく無口な方で、何も言わずに、たびたびプレゼントを置かれたりすると、嬉しいという感覚は全くなく、何を考えているのかわからず、気持ち悪いといった感覚でした。

ちょうど私は、当時お付き合いしていた人もいて、近いうちには、結婚する気持ちもありました。

私の毎日を地獄のように感じさせるその人以外は、何も不満もない会社で、出来れば、結婚後もこのまま続けたいと願っていたものの、結婚を機にこの会社は退職することにしたのです。

会社の人には、この人のことは、はっきりとなかなか言いずらく、本当に辛くて地獄のような毎日でした。

私の気持ちが、その人の行動によってなぜこんなにも左右されてなければいけないのか?腹立たしくもあったのを覚えています。

そして、そのうちに付き合っていた彼との結婚の日取りも決まり、とにかく、その日まで、その日まで・・・頑張ろう!と決めました。

なぜなら、やはり穏便に退職をしたかったという理由です。

とうとう、その日がやってきて、私は、何事もなかったような顔をして、その会社を退職しました。

その日から、私にとっては、穏やかでストレスオフな日が始まりました。

きっと今の時代であれば、自分の中で我慢することなどせず、大きな声で言えたのでしょうね。





公務員を辞めてフードデリバリーの世界へ。仕事も楽しく、月収も前職を超える

(45歳男性:元公務員)

現在は個人事業主として働いてますが、前職は地方公務員でした。

その仕事を辞めたいと思った理由は、ストレスが溜まりやすい職場環境と組織に対する忠誠心が下がったからです。 職場内の人間関係は、派閥もありそれに属していない人は処遇にかなり差があったのです。

人によって扱いが異なるので、それに対するストレスが募ってきました。

体調も崩したため、辞め時だなと判断し退職届を出しました。

もう一つの理由は、仕事に対するモチベーションが下がってしまったのが理由にあります。

型に嵌ったルーチンワークなので、自己流の手法は認められません。

マンネリ化してしまい、仕事に対するモチベーションが下がってしまいました。

やる気も起きなくなったしまったため、日が増すごとに仕事を辞めたい気持ちが高まりました。

仕事を辞めたいなと感じるようになったのは、40代に入ってからです。

公務員から民間への転職は、年代的にも厳しいと知っていたため自営の道を選ぶことに。


そのきっかけは、副業ですね。

本来は、地方公務員法で副業は禁止されていますが、それに反して副業していました。

なぜならば、公務員から他職へ鞍替えするのは茨の道だと認識していたからです。

実際に色々な副業を試してみましたが、これなら直ぐに軌道に乗れるジャンルが見つかったのです。

副業系のサイトや雑誌を参考にしました。

その仕事の内容は、ウーバーイーツをはじめとした宅配。

宅配の仕事は、学生時代にアルバイトで経験があり郵便配達・新聞配達・フード配達などをやっていました。

無計画で仕事を辞めるのは、リスクが高かったので本業以外の収入源を確保したかったのです。

その当時は、ウーバーイーツなどは地元に導入されていませんでした。

その仕事が地元に導入されるまで1年単位でプータロー生活が続く結果になりましたが、ストレスも限界に達していたたため職場を辞ました。

現在は個人事業主としてメインはフードデリバリーの仕事をしていて、サブはクラウドソーシングをはじめとしたネット系の仕事を兼ねています。

前職でストレスが限界に達したため、順番が逆転してしまい1年以上低収入生活を送ってしまう羽目に。

もう少し計画的に行動すれば良かったなと反省しています。

念願していたフードデリバリーが地元にも導入されたため、配達パートナーとして登録し稼働始めました。

思っていた節が当たり、稼働初月で前職の月収を超える収入が得られたのです。

対人ストレスが解消されたため、体調も回復しました。

収入面だけでなく健康面も良化したので、前職を辞めて正解でした。

また時間を自分の判断で裁量できる点も良いですね。

メインの仕事が軌道に乗ってきたので、それを維持するために日々研究中です。

可能であれは、現在登録している事業者以外のフードデリバリーも兼ねようかなと調べている段階です。

休みはほぼ皆無ですが、本来やりたかった仕事なので全然平気ですね。

休日は正月や大雨で稼働が困難な時くらいで、月平均で4回程度です。

今年の収入も来週で100万円超える見込みなので満足しています。

宅配の仕事は学生の時にも経験があり、現在の仕事内容にも満足しているので前職を辞めたことに対しては後悔していません。






給料や有給休暇などの待遇への不満による退職


基本給、残業代、有給休暇。転職して全てが充実

(51歳女性)

以前働いていた職場は、担当していた仕事の責任が重くて精神的なストレスを抱えていましたが、その以外にも様々な作業をしなければならないことがいっぱいありました。

ですから殆ど毎日、残業をしなければいけなくなるのですが、その残業手当は一切支給されず。

しかも元々の固定給自体も低かったですので、毎月手に出来る給料はとても安く、ずっと不満でした。

それに有給休暇があるはずなのに、全く取る事が出来ず、体調が悪かったり、大切な用事がある際にも休むことが出来なくて本当に苦しかったです。

幸いにも一緒に働いていた同僚たちは気が合う人が多かったので、よく一緒に集まってお互いの愚痴やその会社の文句を言いあいながら何とか頑張っていました。

ですがその同僚の中でも特に仲良くしていた人たちが先に辞めてしまい、私も絶対に辞めると決意したのです。

退職を決意してからは、求人情報誌にはいつも目を通していましたし、ネットの求人情報もこまめにチェックしていました。

そして、いくつかの派遣会社に登録をしに行って、自分の条件に合う良い仕事があったら紹介してもらうようにお願いしました。

ですが私が担当していた仕事の関係で年度の途中で辞めるのは難しく、きちんと仕事をやり終えてから辞めたいと思っていましたので、その間に派遣会社から仕事の案内を貰ったり、求人情報誌で良い仕事を見つけても転職は出来ませんでした。

そのため、年度末の2か月ほど前に、遂に会社に3月末で退職したいと希望を伝えたのです。

出来れば退職する前に次の職場を見つけてから辞めたかったのですが、仕事を休んで転職活動を積極的に行うことが出来ません。

結局は辞めてからハローワークに通ったりという就職活動を行うことになってしまいます。

退職してから、毎日のようにハローワークに通いながら良い仕事先を探していたところ、とても興味がある分野の仕事を見つけて応募。

幸いにも採用が決まったので、前職を退職してからおよそ一か月後から新しい職場で働き始めることが出来ました。

また新たな職場は基本給が前の職場より随分と高かったですし、残業したら残業代も適切に支給されます。

しかも有給休暇も日数が多い上に、1日の休暇、半日の休暇(午前休と午後休)、1時間ごとの時間休という3つの種類を使い分けることが出来ました。

有給休暇をプライベートな用事や趣味などに使う同僚も多く居たので、私も自分の好きな時に仕事を休むことが出来るようになり、精神的にとても楽に仕事をすることが出来るようになりました。

加えて、仕事内容も私の性格に合ったものであり、楽しみながら仕事が出来るようになれました。

本当に転職して良かったと思っています。





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