IT社会における完璧主義や理想主義が、クリエイティブ業務にもたらす弊害



決められた業務をミスなく完ぺきにこなすことが要求される仕事に比べて、インターネットのクリエイティブな業務は失敗やミスに寛容である。

ミスや失敗しても修正ややり直すことが比較的簡単段だからである。

一度公開した記事の加筆や修正は簡単にでき、問題のある動画は再編集したり、削除することも可能だ。

オンライン上では、質の低い不完全なコンテンツが逆に受ける場合すらあるのだ。

会社組織に所属していると一つの決定に何重ものチェックや決裁が入り込み、全てをクリアしたものだけが世に出回るはずだ。

取り敢えず不完全でも公開してみようという意識がないと、とにかく決められた業務を完璧にすることだけに集中してしまうことになるだろう。

インターネット社会のクリエイティブ業務に求められるのは、不完全でもとにかく先に進み、先に進んで得た知見を過去の製作物にフィードバックして反映することなのだ。

完璧主義にならずにどんどん先に進んでいく人こそが、インターネット世界では成功を収めるのだ。

不完全でも発信して先に進め


筆者は、元国家公務員であり現在はフリーランスエンジニア兼webライター兼個人投資家として活動しているが、webの仕事でやっていくには完璧主義を貫く人はなかな上手くいかない傾向にある気がします。

ブログやら情報サイトの記事の執筆においても、デザインや文章の細かい言い回しなどの細部にこだわり過ぎるあまり、肝心のコンテンツの作成が疎かになってしまう人は、なかなか成功しない印象を受けます。

ブログやyoutubeを筆頭に個人で簡単に情報発信ができる現在において、完全じゃなくてもとりあえず作ってみようという姿勢が重要となってきます。

また取り敢えず制作したコンテンツも、たとえ完璧でなくてもとりあえず公開しようという姿勢が必要になってくると思います。

なぜなら、コンテンツを公開した後も簡単に修正は可能ですし、時間が経って冷静に見直ししたときに始めて気づく不備もあるはずだからです。

また、いろんなコンテンツを製作してくるうちに知識が深まり、過去に製作したコンテンツの低品質ぶりを実感することもあります。

取り敢えず現状でできる8割程度の完成度のコンテンツを造り、後で微修正や再構成が簡単にできることがネットの情報発信の最大の魅力でもあります。

まず現状において、思いつく限りのコンテンツをつくると、それに付随して新たなコンテンツが発案できることも多いはずです。

まず色々調べたり、勉強したりして完全になってから行動に移そうとする人は、成功しない人の特徴です。

先に行動を起こしてから、必要性を感じたことに関して、さらに調べたり勉強して、コンテンツの質を上げていく方が実用的なのです。

思い立ったらまずやってみようという行動力のある人、そしてそに行動を改善しながら継続できる人がネット社会で名を馳せているのが実情です。



少しのミスや失敗で取り返しのつかなくなる仕事もある


不完全でも発信して先に進めとは言えども、ちょっとしたミスや瑕疵が大問題に発展してしまうような、正確性の求められる仕事があることも事実です。

私は以前国家公務員として仕事をしていましたが、公務員の仕事は法令や規則に決められた業務を正確にミスなく執り行うことが求められることが多いです。

創造性や独自性など発揮する仕事ではなく、誤った決定や発信をしてしまうと大問題に発展しかねません。

予算の金額を0一つ間違っただけで、金額が全く違うものになってしまいます。

証券会社が「61万円1株売り」とすべき注文を「1円61万株売り」と誤ってコンピュータに入力したジェイコム株大量誤発注事件も有名です。

大手メディアが、殺人事件の容疑者の名前を誤って報道すると名誉棄損に問われかねません。

仕事によっては、決められて業務を正確に行うことが要求される仕事は枚挙に暇がありません。

特に日本の大企業のサラリーマンは下手に創造性を発揮しミスをするより、決められた業務をそつなくこなす人の方が順調に出世する傾向があるのかもしれません。

受験勉強でも、資格試験の勉強でもケアレスミスで間違った回答をしたら、得点なしですからミスしない事の重要性は学生時代から痛感させられます。


確かに、まったく分からなくて間違った回答をした場合と、ほとんどわかっていたけど最後の最後で勘違いしたため結果的に誤った回答をしてしまった場合では、両方とも0点になることも多いですね。




インターネットの世界は失敗に寛容


それでもちょっとしたミスや不備で取り返しのつかない事態になったり、創造性や成果を発揮するより、大きな失敗をせずに卒なく仕事をこなす人が評価されてします世界を窮屈に感じる人も多いでしょう。

インターネットの世界は一度失敗したから再起不能になるほどの実害が生じたり、少しのミスが命取りになったりするようなことはあまり聞きません

むしろ、失敗を恐れず、少しくらい不完全な部分があっても、たとえ低品質なコンテンツであっても、どんどん発信し、量をこなす人が最終的に勝者となっている印象があります。

これからは大企業の社員であることに胡坐をかいている人や、何も行動せずに現状に甘んじている人はどんどん淘汰されて行くはずです。

組織に所属せずに稼げるようになる個人が続々出現しています。

新卒でただ大企業に上手く入っただけで勝ち組の人生を歩める社会は足元から崩れていっています。

下手に挑戦して失敗するよりも、無難に組織を立ち回った人が出世街道を突き進む老舗の大企業志向の発想では、ネット社会では生き残れないでしょう。



完成度が低さや、未熟さをさらけ出したコンテンツが支持を集める


インターネットで個人でも簡単にコンテンツの制作・公開が出来るようになった現在では、未熟で完成度の高くないコンテンツが世に溢れています。

しかし、その未熟さや完成度の低さが、逆に親近感や共感を醸成し、多くの支持や関心を呼び起こすことがあります。

何かの仕事を完遂したり、一つのコンテンツや作品を産み出すまでには、人知れず様々な苦労や困難が伴うものです。

当然ながら、大手のメディアが、一つの番組や記事を制作するまでには、多額の製作費用や多くの人員が投入されます。

数分のニュースを報道するのに、複数の現場に赴き、数日にわたって取材を重ねたり、数か月の取材を結集して一つのドキュメンタリー番組が完成することは普通です。

また、撮影した映像や執筆した記事を時間をかけて編集したり、何重もの確認作業も行われるはずです。

しかし多くの場合は、多大なコストと労力をかけて制作された最後の完成品だけが公開され、人目に触れます。

最終完成作品がつくられるまでの過程など、視聴者や読者は知る由もありません。

人々は、綿密な取材活動と入念な編集によって塗り固められた完成品だけを目にするのです。

それはまるで、外出するときに、メイクやファッションなどの身なりをキッチリ固め、外では素の自分見せないのと同じようなものでしょう。

従来から、アスリートやアイドル、実業家などの成功の裏に隠された影の苦難や努力を、一種の美談としてコンテンツ化するものはありました。

しかし現在は、個人で活動していることを公言するブロガーやyoutuberが、決して完成度の高いとは言えないありのままのコンテンツを発信し、支持を集めている事例が多く出現しています。

カメラの前で自由にしゃべったり、日常のありのままの風景を簡単な編集を加えたり、時に編集なしにそのまま公開する一種の素人感が多くの視聴者を獲得している事例は少なくありません。

完璧主義者や理想主義者、仕事に厳しい姿勢で臨むストイックな人ほど、しっかり取り繕っていない姿を晒すことに嫌悪感を感じがちです。

それでも未完成の等身大の姿が人々の心を掴むことも少なくないという事実は見落としがちな事実なのです。



学力至上主義は完璧主義を生み出す


大学入試でも、資格試験でも、大抵の試験には出題範囲と出題傾向があり、試験に出やすいところはある程度決まっています。

探求心や、物事を突き詰めて考えることは、それはそれで重要な人格的スキルではありますが、試験に合格することだけを考えると、余計な知識や深い思考は弊害ですらあります。

試験に出るはずもない細かい知識を追い求めたり、出題頻度の低い事項に関して、時間をかけすぎることは、合格点を取るためには合理的ではありません。

また、試験は知識の深さや複雑な思考力を測るよりも、単に知識があるかないかを試す要素が強くなりがちです。

一見、知識の有無だけではない思考力や表現力を試す試験であるかのように思われる記述式の試験も、採点基準が細かく決められているのが通常です。

記述式試験においては、問題に対して分かりやすく簡潔に回答することが求められており、採点対象とならない不要な記述は、プラスになるどころかマイナスになります。

採点官の主観で、採点するようなことは公平性から問題ですので、厳格な採点基準に則って採点するのが、ある意味当然です。

つまり極論をいえば、多くの筆記試験は、0か100かを試す要素が強いものであり、90%理解していても、30%理解しても、まったく知らなくても、正解か不正解かの2者択一で評価されてしまうのです。

このような筆記試験の特性上、無暗に手を広げて曖昧な知識を増やすよりも、的を絞って特定の範囲を完璧に理解記憶する方が、得点力が上がるという事実があります。

つまり余計な探求心や創造力よりも、決められた範囲を逸脱せず知識の制度を向上させる完璧主義者の方が、筆記試験では結果を出してしまうのです。

もちろん限られた範囲ではあっても、試験に向けて必死で勉強すること自体は、有効なことでもありますので、一概に否定すべきではないでしょう。

しかし、過剰な学力至上主義は、完璧主義者を生産する要因になるため注意が必要です。



就職面接の受け答えに正解を求めようという戯言


学校などで行われる筆記試験が、常に決まった回答を求められ、その回答を導き出すプロセスを正確に評価することが難しいものです。

一方で、就職する際の面接試験は、答えなどありません。

人間と人間のコミュニケーションの中から、受験者の人柄や経歴、そこから導き出される職務能力を推し量るのが面接であり、主観性を排除できるものではありません。

しかし時折、面接官の質問に対して、正しい回答があるかのように誤解している人にお目にかかります。

お勉強ばかりやってきた人や、学校教育現場に携わる教師に多いような印象を受けます。

模擬面接などの面接対策などをすると、面接官との自然なコミュニケーションよりも、質問に対する自分の回答が正しい回答なのかをしきりに気に掛けるのです。

もちろん、面接でよくされる質問に対しての無難な回答や、言ってはいけない失言などは、ある程度あります。

しかし多くの面接では、質問に対して何と答えるかが殊更重要なのではなく、自然な会話の中から窺い知れる人柄や、これまでのキャリアで手に入れた職務スキルなどを知りたいだけです。

ある質問に対して正しい回答を答えることではなく、質問に対してその人なりの意見や考えを述べることや、社会人として仕事をする上で、円滑なコミュニケーションを取れることが最も重要な判断要素のはずです。

新卒や転職で、何度も面接を受けてきた人や、企業で人を採用するにあたっての面接官をした経験のある人であれば、当たり前の話です。

しかし、答えのある筆記試験の点数で優劣を競うような世界でばかり生きてきな人間は、そんな就職面接の当然のことすら勘違いしてしまうのです。

これも一種の学力至上主義の弊害とでも言っていい現象でしょう。



「辞書を引く」という無駄の多い勉強を強いる教育現場


時代遅れで古風な教育現場においては、理想像に拘るあまり、無意味な完璧主義者を量産してきました。

ひと昔前までの教育現場では、英語や国語の勉強で必ずと言っていいほど、分からない単語は辞書を引くように指導されました。

数行の英文を読むのに、何度も辞書を引いたり、内容の理解に大きく影響しない言葉をわざわざ辞書で調べさせたりされるのが教育界の常識でした。

読解する文章に出てきた分からない単語を文脈の中で身に着けるのは極めて有効なことだとは思いますが、あえて分厚い辞書から一つ一つ探し出す作業を強いる必要があるのか甚だ疑問です。

そもそもわからない単語に語注釈がついていれば、それで済む話ですし、数行の英文の中にわからない単語がいくつも出てくるような文章は完全にレベルの合ってない文章です。

まず、ある程度の文章に出てくる単語を覚えてから読むか、文章自体のレベルを下げた方が合理的なはずです。

単語によっては、辞書の中にたくさんの訳語が記載されています。

そのため、教師の中には、多くの訳語の中から、文脈に合致する訳語を見つけ出すという原始的な作業に価値を見出すものも少なくありませんでした。

一度に多くの訳語など覚えられるわけがありませんし、文脈で使われている意味だけ把握すれば十分です。

分からない単語を、逐一辞書で調べさせるなどという無駄の多い勉強方法を美徳とする非効率な教育は、無意識のうちに生徒に完璧主義を植え付けます。

分からない単語は辞書を引いて、無数に記載された訳語から、適切な意味のものを見つけ出すのが正しい勉強だという思想は、実用性のない理想主義です。

そもそも、スマホで検索すれば、単語の意味など直ぐに調べられる現代では、紙の辞書など過去の遺物です。

自然に読んである程度内容が理解できる文章において、気になった単語を調べてみるといった程度が実用的な調べ方です。

何でもかんでも辞書を引いて調べるのが美徳のような古い教育方針は、実社会と乖離した教師の妄想でしょう。



今必要なのは創造性!正確性を求められる仕事はAIが担う


昨今ではIT人材の不足が叫ばれ、プログラミング教育が義務教育で行われるなど、産業革命に匹敵するIT革命が現在進行形で進行しています。

正確性が求められるような仕事の多くは、作業の手順や結論が決まっているようなマニュアル化が可能な仕事です。

このようなコンテンツよりも、ある程度決められた法則で正確に業務をこなすこと要求される業務はどんどんAIに取って代わられるはずです。

もちろんマニュアル化が可能な業務を自動化するシステムを開発したり、メンテナンスをするIT人材は益々重要になってきます。

私は公務員時代、必要な資料の作成するにあたって、資料そのもののコンテンツを製作するよりも、その内容が誤っていないかをチェックする作業に時間を費やすことがよくありました。

役所の作成する資料など、コンテンツを一から作成することなど皆無に等しく、多くは過去の資料の使いまわしや数値的データの取りまとめです。

そのような事情があるためか、中身より形式的な誤りや不備がないかに異常に神経をすり減らさなければなりません。

しかし、昨今のIT社会の実情を鑑みると、本当に人間にしかできないことは、その人の知識や経験から滲み出る創造性のあるコンテンツの製作です。

細かなミスや不備の発見に必要以上に時間を使うことは、非常にナンセンスな行為なのです。



有名企業の肩書など殆ど意味のない社会の到来


昔から日本は、いい大学に入り、いい会社に入れば、その後の人生は安泰と言われてきましたし、現にそのような面は否定できませんでした。

上手く大企業の正社員になったことをいいことに、組織の中でうまく立ち回ることだけに奔走し、ロクな技術も知識もない老害が日本には溢れています。

そのような老害は、グローバル社会において競争が激化した日本企業の重荷になっています。

ロクに仕事はしないし、大した技術もないにもかかわらず、働きぶりに見合わない高給を貪る老害を大量排出した日本の伝統的雇用慣行は、徐々に崩れ落ちています。

今後活躍し稼ぐことができるのは、年齢や肩書にとらわれず、その人にしかできない創造性を発揮する人材なのです。

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